もういい加減に諦めたら!また、いつもの惚けたお池と知事が、来年開催の東京五輪をチャンコロウィルスに掛けて「サステナブル・リカバリー」として、果敢に挑戦しようとのコメントを発表した。
和訳すれば「持続可能性のある回復・復旧」とでも訳したらいいのだろうか。それに機をてらったような、クリスマ・スイブに乗じて「サイレント・ナイト」とはいかがなものか?
ともあれ、この婆さんは、ステイホームろかウィズコロナとか横文字や五つの「子」などの、標語やキャッチコピーが大すきのようだが、実践・実態・具体策は遅々として進んでいない。
それに、「医療従事者に感謝の手紙を送ろう」と、都内の小中高校に対しておふれを発表した。どうも、やっていることがトンちんカンで、送り手の生徒諸君も受け手の医師や看護師にとっても「ありがたい」というよりは、「迷惑千万」というところが本音だろう。
さて、話を戻すが、来年開催予定の徳教五輪、みなさん本気で開催できると思っているのだろうか。開閉会式の総合プリデユーサーの狂言師の野村萬斎も早々にスタッフ7名と共にその座をお降りた。
もうもう、持たない国民の7割は、開催不能、中止だと思っている。とりわけ、それまでに各国にワクチンが行きわたり、変異型も含め、感染防止が完封できない限り、選手も観客も安心して歓喜できる歴史的イベントでもなくなった。
例えば、この盆弱な当方が考えるだけでも、選手村での選手の食事、バッフェ形式はやめて個室への弁当配布とするのか?競技会場への移動は、チャーターバスや電車をやめて、一人ひとりをハイヤーかタクシーで異動させようとでもいうののだろうか?ボランテイアの確保と安全防止策のどれをとっても非現実的だ。
思うに、緊急事宣言の発令も、医療金融機関への対処も「開催を前提に進め、想定外の多額の予算を振り向けている」、国家の威信なのか、それともプライドなのか?もう、いい加減、開催には見切りをつけた方がいい。
件の大会、当方も4枚のチケットが当選し、この11月末までキャンセルが効いた。さらさら開催中止やコロナ収束が見えない中で、無観客となったり抽選による入場制限もあることを前提に息子に聞けば「できれば行きたい」というので、会場への入場権利4名分は留保してある。
まあ、1964年10月に前回の東京五輪を観ているので、あってもなくても、老い先短い当方の冥途の土産にする由もなく、この権利はすんなりと次代に譲ることにした。