Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

ブッタお誕生おめでとうスっ!


 タイトルが長いので、失礼ながら「ブタ・オメ」ということにさせていただく。

本日4月8日はお釈迦様の誕生日。灌仏会(かんぶつかい)といって花まつり当日とし

てこの日は自分や家族の無病息災を願いつつ、甘茶を3回お釈迦様にかけるのが習わし

だ。

 

 お釈迦様が生まれた姿でお立ちになっている台を花御堂(はなみどう)と言いうが、その上に飾っているお花は全て本物。檀家さんや住職が、1つ1つ丁寧に付けられたものとされているのだが、当家の菩提寺でもそんなことをしていることを今まで見たことも聞いたこともない。なんとバチあたりの檀家や住職なのか・・・(コレ本音)。

 

 説によれば、甘茶をかけられるお釈迦様の姿は、生まれた際に七歩を進み、天と地を指して「天上天下唯我独尊」と叫ばれたと言われるお姿が再現されているとのこと。

 

 この「天上天下唯我独尊」とは、自分が一番偉いという意味ではなく、かけがえなのない生命の存在、誰しもがオンリーワンの存在と主張しつつも、お花と同じように懸命に咲くことを諭されているとのことだ。信心深くない当方でも一応頭に入れておく。

 

 今日はお誕生日にに関連して「お釈迦になる」を横道に深堀したい。IMIDASの慣用句辞典によると、以下にこうした記載がある。

 

お釈迦になる〔お釈迦にする〕。おしゃかになる/おしゃかにする。

失敗作・不良品をつくってしまう。つくり損なう。また、(壊れたり欠陥が見つかったりして)役に立たない物になってしまう。使い物にならなくなってしまう。「せっかく新品を手に入れたのに、ちょっと落としたためにお釈迦になってパーさ」

 

〔類〕お陀仏になる

 

〔語源〕江戸時代、職人が金属を溶接するときに火が強すぎて失敗し、「火が強かった」というところを「シガツヨカッタ(4月8日だ)」としゃれたもので、この日がお釈迦様の誕生日であるところから、オシャカになったと言い換えたという。また、鋳物職人が地蔵を鋳ようとして釈迦を鋳てしまったことからともいう。

 

 とある。

 

 それでは、お時間もよろしいようで、今日は自分自身がお釈迦になる前にこの辺で・・御免!明日はあしたのココロのジョーだ!!!!