Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

「糞たれっ!」の逃げマックり甲斐。

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    呆れてモノが言えんわ・・・!中野貴志大阪大学教授の「K値」も雲散霧消。オイケ都知事は、フィリップと数値公表だけの広報官の役割だけだ。首相も官邸も逃げまくり。GOTOキャンペを言い出したかと思うと、今度は「爺さん婆さんにコロナを感染拡大させるから、旧盆には田舎に帰省しないように・・・」というありさま、始末。

 

     支離滅裂、朝令暮改どころか、舌の根も乾かぬうちにとはこのことだ。為政者が二転三転しては国は持たない。コロナ感染対策に一切の具体策も出さないうえ方針も示さない。妙な物言いに「愛犬が別れた」とか、「星野源が・・・」がと?ろくなことを云っていない。

 

     つまり、官邸、都庁幹部の取り巻き、側近の能力や実行力が試されているのだが、これとて都道府県庁に限らず市町村も亦同じ。70%の削減のテレワークを推奨する西村おでぃ~じん。世間ズレもいいとこだ。これを甘んじて許容している国民度の低さも余りある。

 

    一方でGOTOのマヤカシと、マスクを代えての慰安婦像前の土下座のあベえがー首相の記念(残念)像。挙句に徴用工問題で「遺憾だの、多くの選択使肢、憂慮、懸念だとか・・・」と、言語明瞭、意味不明瞭。さて、さてお国や親分はどっちをみてお仕事をしているのだろうかねぇ~?

 

     こんなことすらさえ、茶番劇の極まりだ。挙句に訳の分からない「ワーケーション」に「布マスク8千万枚の追加配布」、批判の矢面に立たされると「今度は備蓄用に」にと前言んを翻す。それに呼応してか閣僚の誰独りもしなかった、孤高の首相の給食用児童マスクは、ピエロ紛いにやっとお取り止めか~あい???

 

    GSの店員や土産物屋の接客店員、美理容室のお仕事やレジ打ちご担当者にとって、リモートではお仕事にならない。そういう連中にとっては今の政策はエソラごとでしかない。しかもアベノ虫マスクの布マスクさえWHOもその効果効能を全面的に否定している。

 

     これって、旅行会社やマスク調達業者等の関係筋へのマネロン(資金還流操作)だろうっ!こうなると、公表されているRw値も報道も怪しいモンだ。

 

     挙句に旅行業界救済と思いきや、今度は西でも吉村大阪府知事の化けの皮が剥がれ始めた。所詮はメッキ者。「イソジン」で一日四回うがいをすれば感染防止となる、とういうお粗末に後始末。首長のこの一言で東京都内でもドラッグストアや薬局から「うがいぐすり」が一挙に消えた。

 

     ドラッグストア、マツモトキヨシでも昼過ぎにはポビドンヨードを含んだ、うがい薬が店頭の棚から一斉に消えた。アマゾンなどのネット通販サイトでも関連商品の多くが品切れとなっているこうしたご事態。おいおい、今度は薬剤会社支援か~a!!「そんな、奴らには『草』でも喰わせておけ~!!っ」、今度はイソジンから菌(金)一封か~い?

お国訛り

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   「や」 は、「・・・や」、「しましょうよっ!」と声をかけるときによく使う。「えっぺやれや(一杯やりましょうね)」。「遊べや(遊ぼうよ)」。「食べりや(食べましょうよ)」もこの意の類。

 

   「この桃、熟みすぎてやっけぇなあ」(この桃は熟しすぎて柔らけいなあ)、これも「やくなし」「役なし」。「役立たず」と同義。「やけっつる」も同じ発想の言葉だ。

 

  「やだがる」や「やだかやあ」は「嫌がる」。「やだくてぇ」は「嫌だこと」に「嫌ですねえ」の信州訛り。どうやら、「やだこと、やだこと」は「ああ嫌だ、嫌だ」に漢字の「谷・谷地」や「湿地」に語源があるらしい。

 

 さて、「や」行に続くのは「よ」だ。普通は「いいんじゃんねえ!!」 だが、これは「よいじゃねぇ~」ではなく「簡単ではない」と言うのが本来の意味。「容易じゃない」という言葉が甲信で訛ったものだ。「よーがんすか?」は、「よろしいですか?」というお断りの意味もある。「よーけっ」が訛ったらしい。「組長なったちまったら(よ)ーけな仕事ばっか増えたズラ」などの言い方もその典型例だ。

 

   「(よ)ーでもねぇことすんな」(余計なことをするな)のはその典型。「雨降りそうだから洗濯物よせてくれや」(取り込んでください)、仲間に入れてと懇願することの言い回し。

でも、少しずれて「(よ)たコク」は、「でたらめ」、「ふざけた」、「くだらない」の意。

 

    だから、今は政治も、メデイアも「(酔)た、こいている」がヒットする。でも、これが「(よ)ばれる」となると、いただく、ご馳走になるという意味に変化する。つまり。「ごっ(チャ)しゃんでゴイス」。の深謝、感謝の意に代わる。

 

    でも、最近この「(よ)ばれる」の言葉がめっきりと少なくなった。と言うよりほとんど聞かれなくなった。「オラ方は『ずくがねえ』ズラか?」。「だっちもねえ、世界になっちもうったじゃんけ」の甲州弁で締めて・・・。

 

    「お口くちゅ、くちゅモンダミン!!」して、今宵も更けたので、オーラルケアして「オヤスミの虫」。

男と女のラブゲーム!

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     まだ、昨日の続きかよ!また今日もひっぱるね~っ!!オタクらの関係になんか問題でもあったの?それとも不倫がバレたとか?、いつからか「不倫」という言葉が公用語になった。「浮気」やが「逢瀬」となって、芸者の子供や二号さんの子供らが婚外婚の非嫡子。で、旦那は甲斐性もあって、カネをせっせと送っていた。今もその文化は底流にあるのだが、いつのまにか不倫が不条理や、不義理に不誠実と誤解され、一様に社会悪のように非難されるようになった。

 

     国土計画や西武グループを統帥したのが、かの妾の子の堤会長だったことを皆様御存じないのだろうか?昔から得てして、正妻や本妻から産まれた子より、側女、後妾、次妻、継女に産まれた子の方が生命力や権勢力があることは歴史みても明らか。

 

    マジに考えるな!それだけで気が滅入り、精神衛生上も良くない。親子とて兄弟とて姉妹とて、さらには夫婦とて、近しい者ほどに「愛は憎しみに代わる」。それが「愛憎」たる言葉の所以だ。東出がどうなろうと優樹奈がどうなろうとガキの火遊びはどうでもいい。

 

     家事のやり方はそれぞれで、夫が動く、働く場合の決定権は夫にある。何処の世界も「正解の押し付け」や「言う通りにしないと許さない」と受け取るようになったら家庭も世の中も回らない。夫婦に限らず親子、兄弟関係もこれ似て然り。

 

 一生一緒に暮らすのであれば、お互い何を考えているのかと、お相手はどういう気持ちなのか?どうすればより、楽しく過ごせるのかを、冷静にしっかり話し合っていかなければならない。でも言うは(横山)易し、行いは難し。

 

    話し合いの流れを読むなど一朝一夕で習得できるものではない。長い長い時間と幾多の喧嘩や苦労を経て、やっと互いに話し合いができるようになる。最初の話し合いまでは1年にも2年をも費やすことさえある。酷い言葉の応酬を繰り返しながら関係が必要となる。

 

 今回の杏と東出のように一度の失敗で「お別れ波止場」となることさえある。杏の父の渡辺謙も前妻、と別れ南果歩とも二度目の危機があるように歴史は何度も繰り返す。でも、哀しことに男も女もそれを学習しない。だから男女のもつれは性格・資質にあるから始末に悪い。

 

   重ねて言うが、家族、親子、夫婦関係とは兎角そんなもんだと思っていた方が塩梅がいい。肩肘張らない人生ほど気楽なものはない。でも、その域に達するには相当の我慢と忍耐に人として老練に「枯れる」ことが必要なのだ。

 

     貴方の伴侶や兄弟を「戦友」と呼べるようになったら、本物の人間関係ができたと思ていい。おら!そこの旦那、「またいきり立っていますかノウ?お主まだ若いのう!」、「それこそ若気の至りですかのう」典明(天命)、奥さん本当に愛してますか?!

本当のソバの味とは?

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  「信州、信濃のソバよりもわたしゃ!貴男の傍(そば)がいい・・」、その一方で親は子をイジメ、その子も亦、親をいじる。親をイジメ、こどもをイジメる。これは愛を超えた極限の弱肉強食の世界、これって昔から世の常「口減らし」などその典型だ。愛憎とはコインの裏表だから、愛が昂じると必要以上の憎しみに代わる。だから、幼児虐待やDVにもなる。でも、その逆に憎しみが愛に代わることは絶対にない。

 

    どんな関係性にせよ、いつもの呼吸で、いつもの間隔で、程よい距離を保つのが円満の秘訣だ。互いに食い入らず何のコダワリもなく、干渉せずがお二方にとっては、一番の特効薬かもしれない。まあ、味が知れない、分からない「富倉そば」と同じようなものだ。

 

    ときに信州「屋号:山品」の蕎麦は「マイウー!!う」とはいうが、本当かよ~っ?

 

     でも、その昔、よく行った大糸線穂高手前(先)の「天狗沢のソバ」の味は、確実に堕ちた。また、松本市内の名店「こばやし」の蕎麦も風味がなくなり、昔ほど旨いとは言えなくなった。これなら駅前の「飯田軒」の立ち食いソバ、深堀や緑町の「山賊焼き」、「蜂の子」や「ザざ虫」の方がはるかに旨い。

 

     今から40数年前、義父母に連れられて行った松本波多村のとある農家の軒先。婆さんが自前の畑で取れた蕎麦の実を石臼(石引)で引き、その嫁が獲れたての蕎麦を打つ。そのお味は、いうと格別で、山形県の田舎蕎麦「屋号:やまが田だ(京橋から現在銀座所在に移転)」と同じくらい美味かった。

 

    それに若かりし頃、上司に連れられて行った「信州坊主」(安曇野出身で仏・ソルボンヌ大卒の店主が帰朝後、東京赤坂駅前で蕎麦屋を開業。その後、地元長野県南安曇郡豊科町に移転。店主が亡くなったのを機に今は廃業)の味は、京都伏見地酒の「月の桂」(蕎麦と日本冷酒は相性がいい)ともに、格段に旨かったことを想い出したりもする。

 

     前述の波多村の農家母屋の居間や軒先に、事務長机にくたびれた座布団が所狭しと並ぶ。蠅や蚊も飛んできて、決して衛生管理上は「善し」ではなかった。だからこそ、ここのソバの味は今でも懐かしくて忘れることができない。

 

 義理の父母も程よく距離と愛情を保ってくれた。それというのも、当方のことではなく子(娘)可愛さあまりのことだったと思う。本当の本物のソバ(の愛)の味とは、こんな他愛もなく、着飾ることでもなく、素で自然体で向き合うことなのかもしれない。今はその昔を回顧するに、感謝の念と懐かしさしか残っていない。

 

(ご参考)一流の人が「蕎麦を食べるとき決してしない」こと(フォーブス・ジャパン引用)