Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

おとつあん、大丈夫かよ!

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 昔、TV「シャボン玉ホリデー」の劇中、床に伏したままのハナ肇演じるオヤジさんに対して、娘役のザ/ピーナッツの二人が「おとつあん、御粥ができましたよ!」と声を掛ける。するとハナが「何時もすまないね~え」と合の手を入れる。お決まりのコントだが、ここに植木等が飛び入り「あれっ!オヨビデナイっ!」、「こりゃどうも失礼いたしました」とコントが終わる。

 

 こんな時に不謹慎だが何故かこのコントが頭を過った。まさに都内のコロナ感染者が一日で千参百人を超えたあたりから、政府の緊急事態宣言発出前後から数字が盛られているようで仕方がない。

 

 直後からどの都道府県も感染者数がいきなり三倍、五倍、十倍と急増している。まるで宣言があたかも正当であって、アリバイづくりのようにも見える。給付金のばら撒き、入院患者に対する医療機関に対する補償金の交付。

 

 ただ、民間病院は患者の受け入れにネガテイブで、どうやら、民間は採算の合わないうえ、運営に支障や行き詰まることが想定されるため、表の顔は別として本音と本心は相当乖離しているようだ。

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 それに、横綱白鵬、女子レスリングの吉田沙保里やお笑いタレント「南海キャンデーズ」のしずちゃんまでもが陽性を公表した。なんと名だたる有名人がここにきて次々と感染を公表し始めた。まるでシナリオを謀ったかのような絶妙なタイミングの公表だ。イザとなればどんな手でも使う。それが悪手だろうが庶民感情などいちいち気にしてはいられない。

 

 折しもJOCの森会長は今年開催が危ぶまれている「東京オリンピックは無観客でもなく無選手でも開催する」と豪語。報知スポーツによると都内で取材に応じた会長は、大会開催について「不安? 全くありません」と発言。続けて「やるのは7月でしょ。今、オリンピックの準備は、ほとんど全部できている」と強調したという。

 

 大相撲初場所は65人の力士の感染者が出たというのに、部屋単位での発生だから場所そのものは強行開催するらしい。

  箱根駅伝の路上応援の人だかり、ゴール近くの密集と混雑。どこを見てもどうもやっていることと云っていることがチグハグだ。

 

 極めつけは、まずは、4日午前の年頭の記者会見。首相は「当面は新型コロナウイルスの感染対策を最優先に取り組んでいきたい」としたうえで、「秋のどこかで衆院選を行わなければならない」と述べた。衆院議員の任期満了は10月21日。衆院解散は春でも夏でも可能だが、「秋」に限定したかたちだ。官邸報道室は会見後、「『秋のどこかでは』を『秋までのどこかでは』に訂正させていただきますとのペーパーを、後刻報道各社に配った(アカヒ新聞ニュースから)。

 

 TV「バイキング」のコメンテーターのミッツ・マングローブ「GoToにしろ緊急事態宣言にしろ、菅さんの決断は常に渋々という感じが伝わってくる。なのに自分の手柄です、みたいなことは言う」と指摘し、「リーダー性に欠ける国が言っていることに、国民が従うのかなと思ってしまう」とか。その証左を下記におく。

 

 「年末年始陽性者数少なくなるだろうと考えていたが・・・」、菅首相が語る緊急事態宣言の背景と見通し (BSウジ5日深夜LIVEプライムニュースから)

 

      反町理(TVキャスターの問いに)

  北海道や大阪では自治体の判断において対応し、感染状況が下がってきている。ところが首都圏には緊急事態宣言が必要。この違いはどこにあるか。緊急事態宣言を出さなくても、自治体としてやれることはまだあるのでは?

 

    菅義偉 首相(これが、わが国のトップのご発言とは?)

飲食店への時間短縮要請が、首都圏は10時までになっている。大阪や北海道は臨機応変に8時などの対応を行ってきている。年末年始で感染状況のベクトルが下向きになると考えていたところ、まだ上向いている。それで緊急事態宣言という判断をするべきだと考えた。首都圏についても、政府としては8時までにしてほしいという依頼はしていた。しかし最終的には知事の決めること。

吊るし上げ

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 なんか絞首刑のようで、響きとしてはあまり良くない。でも、集団や群れが生きていくためには悪役、邪魔者、厄介者を作るのは動物心理学では当たり前のことだ。生贄、神仏に生き血や生身の人間やを首を捧げるのもジャーマニズムの古来から息づいている。

 

 イジメ、さらし者とはそうした集団的危機、心理を救うために捧げる呪術ともいえる。

 

     これが「この吊るし上げ」なのだ。でも、不思議と使われ方としては、被害者、受け身の言葉かもしれない「吊るし上げを喰らう」とはそうした被害者意識や感情を増調・デフォルメして、あたかも正当性を媚びしているようにも見える。

 

    どうやら、語源は、志那語で "围攻" のことらしい。つまり、多くの人から一方的に責められるという意味。この場合、責められるとは、責任を追及されたり非難されるという意味に使われる。


   その真逆の「吊るし上げる」とは、多くの人数で、よってたかって非難するという意味となる。

 

    決められない、判断力がない、優柔不断、決断力が乏しい。オタクの周りもこうした風景が沢山ありませんか?国(総理)も都道府県を預かる首長にしても、病院協会の相澤会長もの日本医師会の中川会長も、飲食業界もどうやらつるし上げの標的を探しているようにしか見えない。

 

    病院ベットの数の満床率を報道したところで、批難中傷ばかりでは一向・イッコウに改善するものだはない。「どんだけー!!」。

お宅のボスはだれ?

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 ボスとは票を制御し任命を操る政党のリーダーを元締、親分や大将と呼ぶこともある。その一方で労働者管理する人を頭領主任、リーダ、親方、上役、場長、上司、職長、チーフ、主任、所長、棟梁、リーダー、頭首、フォアマン呼びかたを区別す方も多い。

 

 組織も政財界に拘らず業界もそうだが、各方面で影響力を持つ人は露骨にそうは呼ばない。一般的に心の中では、実力者、顔役、ボス、親玉、親分、巨頭、大立者、大人物、重鎮、権威、オーソリティーや巨人などと呼んでいる。

 

 組織をまとめるヘッドや司令塔に実力者が少ない。いうなれば押し出されたトップが多く存続のためには都合がいいし使い勝手もいい連中だからだ。

 

 ただ、問題は「責任ある立場」と、日頃から「先生、先生」と呼ばれて崇めらている方々だ。こう呼ばれるとご本人も勘違いなさっていつの間にか実力者になったような錯覚に陥るから始末に悪い。

 

 このほかにもトップの呼び方としては、前述と重なる部分もあるが、オーソリティー、 オペレーター、取りまとめ役、キャプテン、フィクサー、フォアマン、代表取締役、ラスボス、リーダー 、CEO 、チーフ、トップ、ヘッド、リーダ、元締め、取締役、司令塔、司令官、大人物、実力者、指導者、指揮者、支配者、有力者、総司令、責任者、雇い主、上司 、上役、主任、主宰、元締、司令、場長、大将、大立 、巨頭、 巨魁、 所長、 旗頭、棟梁、権威、監督、立場、組織、職長、親分、親方、 親玉、責任、酋長、重鎮、頭目、頭領、頭首、顔役 、首脳、首長、首領とか首魁などとさまざまな呼称を付けているがのだが・・。どれをとっても似たり寄ったり。実はこうした呼称は配下にある人間が勝手に気ままに付けているだけのもの。中には小ばかにしたような敬称も多い。

 

 すべからく安堵して「先輩!先輩!」、「先生!先生!や「アニキ―!」」などと呼ばれているのは、むしろ蔑視されているかもしれないので、ご注意あれ!

 

 国のリーダーとしての自覚がないまま官僚の書いた台本を棒読みするしかできない一国の主。表情は乏しく決断力が見えてこない。こんな国に必要なのは政権与党でも野党でもない国民はいまこそ本物の「カシラ」を望んでいる。

 

 最後は笑い話のようだが、これがお国の現実だ。昨夕の首相による共同記者会見。隣に父兄の分科会の尾身会長はんを据え置き、唐突な質問に備えた。ただ、オチがあった!緊急事態宣言を発出したというのに最後は「私からの『挨拶』とさせていただきます」だとよ。講演会や後援会で招待された時のご挨拶となんか勘違いしてるんじゃねえ~えの?

望遠に広角レンズ

 

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  アナウンス、台本やシナリオの切り抜きに切り取りは日常茶飲み事。印象操作、世論誘導、大衆活動、国民意思などいくらでも作り事で操作ができる。マスゴミもテレビも犬エッチケーでさえ、採り上げるニュースを選別し頭と尻尾を繋げたような報道を平気でする。

 

 それにカメラワークも巧みだ。料亭に出入りする国会議員をフォーカスしてと思えば、交通事故や犯罪被害者の生録を平気でタレ流す。

 

 偏向報道の元凶は、特異な意思を以って大衆心理を動かすことににある。官僚が造った出来合いの原稿を棒読みする一国の総理。

 

 ドイツのメルケル首相が恥じらいもなくテレビに向かって泣きながら国の窮状を訴えたのに比べるとわが国の政府や自治体の首長は相変わらず「行動抑制(緊急事態宣言)」のババを引きたくないものだから、キャッチボールと右往左往するだけのお話。

 

 昨年来のコロナ禍、何か進展、対処がございましたか?自粛に要請、お願いベースだらけで遅々としてことは進んでいない。これでは、国民は堪ったモノではない。「暮らしと命を守る」と、掛け声はいいがこれでは市民は一向に動かない。

 

 マスゴミや報道機関が良く使う手を最後に御紹介しておく。カメラワークで「望遠レンズ」と「広角レンズ」を巧みに使い分けることで簡単に大衆心理を操作できるのだ聖子。

 

日向山

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     この山には何度も登った。夏の盛りだろうが山頂を白砂が覆う。ここを雁ケ原という。山頂でストーブで沸かしたお湯でオイシイ珈琲を戴く。そして、尾白川に下るのがわが方のお決まりの定番ルートだ。上京しても気が向くと何度もこの山に向かう。不思議だ。

 

     さて、今日はこの山梨県北杜市北巨摩郡・キタゴオリ)に鎮座する日向(ひなた)山という山についてご案内したい。標高は1660mと周囲の山に埋もれてしまう高さだが、JR小淵沢駅周辺から見ると山頂の雁ヶ原と呼ばれる一帯が白く光って見えるので一目でわかる。この山は、今も昔も天気と密接なつながりを持つ不思議な山なのだ。

 

     以下引用だから、今日は多く語らない(最近この手の掲載が多くなったのに自省)。

甲斐国誌』には、ふもとの人々はこの山を見て天気を占ったと伝えられています。すなわち、雁ヶ原が輝いて見えたら晴れて、濁って見えたら近々雨が降るといった具合です。このような天気の予想は観天望気といい、現代のような天気予報がない時代、必要不可欠な経験知でした。例えば「富士山に笠雲がかかると雨」は今日でも全国的に有名な事例。

 

 なぜ雁ヶ原が濁って見えると雨が降ると考えられていたのでしょうか。山梨県は晴れやすい県として知られていますが、中でも日向山の位置する北杜市は日本屈指の日照時間を誇ります。一方で、北杜市周辺は八ヶ岳に沸き立った積乱雲の通り道となり、夏の夕立も多い地域であるように思います。近くの山が濁って見えるということは、空気中の水蒸気の量が多く、光が散乱されて白っぽく見えるということでしょう。とくに盛夏のころに朝から山が濁って見えたら積乱雲が発達しやすく、雷雨の発生が心配されます。

 

また、日向山ではアメダスによる雨量の観測が行われていました。源流部の雨量を正確に観測することで、山の奥地で発生する土石流から流域住民を守ることが狙いです。

 

何度か観測場所を移動しつつ、長らく県民に親しまれていましたが2009年11月に観測を終了。現在は、山頂から少し下った登山道のわきに当時の機器だけが残されています。日向山にある雨量計は『高標高雨量観測装置』というもので、強風が吹く山頂部でも雨滴をしっかり補足するための工夫が凝らされています。

 

日向山と天気との不思議なつながりはこれだけではありません。隣のピークの雨乞岳は名前の通り天に雨を乞う舞台となったことに由来します。全国に「雨」とつく山は数多くありますが、隣に「晴れ」を感じさせる山が並んでいるのは珍しいことだと思います。この周辺の人々は、山と天気の特別なつながりを山名で表現しようとしたのでしょうか。

 

          だとよ!オイ、何回も一緒に登ったよな!!そこの姉さん!!