Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

レジリエンス

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    この言葉をご存じだろうか?先日、家内から「TV録画していたので、ご覧あそばせ!」といわれていたが、しばらく放っておいた。この「レジリエンス」は言葉の響きから、反発力とか回復力、もっといえば逆境から這い上がるような意味だとすぐに分かった。さらに病院内でも最近「レジリエンス外来」なる受診窓口を見たことがある。だから、病気からの立ち直り方のことだろうと・・、その一言に余計なお節介だ!とも思った。

 

    病気になってからというもの、自分自身ではそれほど落ち込んではいないのに、どうやらそれを、直接当方に云うのが憚れるので、気遣いして録画をして観て貰いたいようだ。それよりショックだったのは先月元常務Hさん急逝の訃報がご子息から届き、異国のバンコクに埋葬されるらしい。淋しいお別れとなったが次は当方の番かと急に不安になった。

 

   でも、家内の折角のご親切に録画は観ました。やはり「末期がん」患者の心が大混乱に陥った時に、その苦難を乗り越える力を精神科医がサポートする内容だった。患者に過去を振り返らせ自身の弱み、喪失物やコダワリを気づかせ、過去に拘泥させずに前を向かせようとする一種の心療治療だ。番組ではこれとは別に、東日本大震災で全てを失った飯館村の自然農法一家の三重県内での再起も採り上げていた。

 

    この番組を視て率直な感想を言えば、そうした環境にあっても「女性の方が男性に比べて抵抗力、快復力があって立ち直りが早そうであること」、その分「女性は暗示や心理誘導に弱く、どちらかというと、よく言えば『素直だ』ということ」、だから、逆に言えば「一旦女の子が思春期に非行に走って、引き籠ったら、男性以上に厄介になりそうだ」ということも容易に判った。

 

   でも、結局は男女に限らず「振り返り、過去や経験に拘る人ほど苦境に陥った時に、前が向けない、見ることが出来ないということ」が弱みなのだ。だから、執拗に「それまでの人生を失うことが恐ろしく、幸福感のある想い出にしがみついてしまう」、つまり「良くも悪くも過去が捨てられない」のだ。

 

   ここで、ちょっと話はズレますが、似たようなお話をしましょう。患者や障害者は画一的な環境の中で病気になって、障害を負ったのではなく、個別の事情や経緯があってその立場に置かれている。障害)や)を社会的な弱者として取り扱う風潮が目に憑くが、こうした人ほど「障害」「病気」そのものを理解しようとしない。

 

   こんな話がある。全盲の人が玄関先で靴を履くとき「まず左足を伸ばし靴の左右を確認してから右靴を履く」、でもそれを傍で健常者がみて「右の靴に左足を入れようとすると、慌てて『それは違いますよ!』指摘する」。そうした声掛けは親切でも優しさでもなく、障害者にとっては非常に屈辱的で尊厳をキズつけられるという。何故なら、脱いだ時の靴の左右の位置を足先で確認しているから、履き違いが瞬時に判るのだという。

 

   こうした、何気ない小さな親切・余計なお節介は、相手を必要以上に傷つけてしまう。患者に対して「早く病気を治して・・」とか、全盲の方に「目が不自由でお一人で入浴できますか・・」などとは口が裂けても言ってはいけない