Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

同好会や愛好会に物申す。

f:id:koushuya:20190607000552j:plain

     当方もここに身をおきながら云うのも憚れるが、「こいつらは走ることや登ることしかできない単なる馬鹿か阿保な連中だ!」と、つくづく思う。ランニングに限らず登山倶楽部もそうだが、チームスポーツ、即ち、協調性がなく、人間関係が醸成できずに、自己を犠牲に供せない人が集うのがこうした活動だ。

 

    つまり、偏屈で集団活動が苦手な人間ほど、こうした世界に流れてくる。いわば「変わり種の人々」が、こうしたサークル、愛好会や同好会などの疑似集団を構成している。

 

    会社勤め、経験、経歴や組織に属している域を超え、誰もが気軽に、そして誰もが楽しく、強制もなければ、ふらりと立ち寄れる場所こそが、こうしたサークルの存在意義なのだ。でも、規模が拡大するに連れてそれがなくなる。結局、その活動は、最終的にお役所仕事、企業の組織活動や学校の部活動と同じになる。

 

    そのことに誰も気づかない。むしろそのことを避けようとするから、理由も告げず退会するメンバーも後を絶たない。新規メンバーが確保できたとしても、そうした雰囲気についていけない会員は黙ってその場を離れていく。

 

   華々しいイベントや地域貢献活動をやるのも存在感を訴えるのには格好のパフォーマンスだ。でも開催、実行責任はだれが負うというのか?事故、ケガや不慮の事件に巻き込まれた時にどう対処するのか?タイムや距離に名が出せない、出すことのできないメンバーの心をどう理解しているのか?云々・・と。

 

   前々からこう思うのが、こうして会員のランキングを発表して全国何位で、お歳の割にすばらしい!とか、早いとか、そんなことやイベント企画に自己陶酔している方々、何か勘違いしてはいませんか?

 

   本来、好環、同好と云われる「サークル活動」は、ランキングや年甲斐もない体力を無理やり競い、それを、ことさら誇張するものでもない。まして企画の華々しさを目的でするものでもない。実はこうした活動は、機を衒うことなく、広く会員を募ることでもない。もっと地味で、会員の心が寄り添える活動こそが本来の在り方だと思う。

 

   もっと云わせてもらえば、機を衒ったゴミ拾いや、市民参加の輪を広げるのもいいでしょう!会員を個人的な名を持って拡大するのもいいでしょう。でも、それは地元に根付いた同好の会でもなければ、その目的でもない。サークル活動と云うのは、会員数でもなければ、売名でもない。もっと地味で、コツコツと培うものだと思うのが。それに名を連ねる自分の姿にも嫌気がさす。

 

    いずれ、このままでは会員の人心は離れ、ただ、ただだけのピークハンター、体力や持久力を競うだけの道を歩むいい歳をしたオッサンとオバサンたちの「中高老年のマスターベーション愛好会」に成り下がってしまうのは確実だ。

 

    何故に本日、こんな苦言を呈するかというと、あまりに会の運営が現実から離れていくことを憂いているからだ。その昔、若かりし頃、役員として別地域の同好会を運営した時にも同じ経験をした。山登りにも多くの参加者を求めたが目的を一にできず、パーテイそのものが危険、危機に瀕した苦い経験があったからこそ、敢えて物申した。

 

    本当の、本物の「仲良し、お達者クラブ」、「同好、愛好会」とは何かを、もう一度立ち止まって再考してもらいたい。そんな願いから、今日は老婆心ながら徳兵衛の本音(苦言)を差し上げた。