この言葉も好きだが、山屋の道具屋にもジュクの「好日山荘」や若い時には、遠く山梨から電車で秋葉原まで上京し、「ニッピン(現在は廃店)」にまで、山用具やウエアを大枚を使って買い求めに出かけたことにも、「山」の想い出が残る。
さて、今日のお題は掲載写真にもある紅葉回廊。これ「もみじ回廊」ね。みなさんこの言葉を御存じだろうか?河口湖北東岸の隠れた名所だ。
「和菓子の四季堂」脇の猫「ダヤン」をモチーフにした木の花美術館レストラン「オルソン」のママも娘も、この徳兵衛の顔さえ見れば、今でもよくご存知のはずだ。あの時は好日そのもの日々が何日も続いた。
今も当地にあるかはわからないが、もみじ回廊上がりの「久保田一竹美術」記念館から温泉の足を運ぶと・・・「野天風呂・天水」の温泉!ここからは昔、荒廃した獣道のような登山道を駆け上がり「黒岳」から御坂峠の「天下茶屋」まで山行した覚えがある。
それにJR大月駅から鶴ケ鳥屋山、本社ケ丸、清八峠に妙に人懐こい野生のカモシカが生息する三つ峠(四季山荘)のウラを経てカチカチ山、河口湖まで単独山行。寒い冬に残雪の山の中を懸命に歩いたこともあった。
夏にあっては、十二ヶ岳(毛無山から一ケ岳、二ケ岳と続き最後には吊り橋を越えて急斜面を駆け上り十二ヶ岳のピークを迎える。
登頂を迎えるのだが、途中によもやと思ったが「八ヶ岳」があったのには笑った)は勿論のこと、節頭ケ岳、王岳など、富士山周辺の山々は全て歩き尽くした。高川山なぞへは隔月くらい登ったがここの富士も見応えもあった。でも流石に、旧五百円札の裏面に描かれていた、鴈腹摺山からの富士の山容は見事だ。
ここへのアプローチは山口鉱泉脇から入山するが山頂までの道のりは結構な距離だ。
根場部落から西湖経由で地元の甲府までも歩いたことがあった。峠越え、天城越えもそうだが、そこには文化と価値観と交易の境界線が、昔ながらに幾つもある。
ムラを追われて、捨てて逃げていく母娘。国中へと郡内から身ぐるみのだけの親子。「精進湖の大杉脇」から三方分山へとの右左口、甲府に抜ける峠越え(女半坂or女攀坂)。
旧芦川街道の峠頂上に幾つもの、母子の墓標がそこに連座していることをごご存じだろうか?母娘が喰うに喰えず、郡内から逃げて府中(現:甲府)を目指したが親子共々がこの地で息絶えたのだ。
ふと、(日光)キスゲの群生には脅かされた!あの、まばゆい金色のキスゲがあるとは思ってもいなかった。その場所は今も誰も知るまい。
そんな徳兵衛、昔を慈しみ山々を歩いてきたが、当時は、タイトルが如くの「日々是好日」今では、何処の地でも、この体(テイ)ではそれもかなわぬ。弱ったモノだとじっと掌を見つめる。季節は巡る!!