Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

「気を付けてね!」の危うさ

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    突然に見舞われた事故にしろ、事件にしろ、この手の言葉は危うい。

 

    つまり、いくら努力しても、注意しても避けられないことがある。だからいくら自助努力をしても襲われる時は襲われる。

 

     例えば、キャンプ場やキノコ狩りで山中に入りって、クマにでも襲われた時に「あれほど、注意、気を付けてね」と、いった筈なのにと悔いる関係者を何人も観てきた。が、本人に罪はない。

 

 アクシデントや事故なるものなぞは、予期、予見、予断もなく突然やってくるもので「気を付けてね!」は、全く意味をなさない。「お大事に・・」、「御達者で・・」も「ご機嫌よう!」もその類かも知れない。

 

    それに都合のいい言い方が「一部の可能性は否定できない」とは、さて、あんたどっちを云いたいんだとも言いたくなる。可能性があるのかないのかを言ってるだけでなく、加えて「一部の~」てな言い方をされるものだから、余計に判断に迷う。

 

    こうした言葉は、お役人や政治家、それに経営トップがよく使う手だ。以前にも申し上げた通り「言語明瞭にして意味不明」なのだ。

 

   日常にはこのような曖昧な言い方が余りに多い。そして畳みかけるように「今年は新型コロナの感染もあって・・」と、なんとなく来年には感染が収束するような錯覚や期待・希望を世間に与えるような言い方をニュースキャスターまでもがする。

 

 来年にはチャンコロ・ウィルスが収束、終息することを何が担保しているのかを聞いてみたい。

 

 どれもこれも、憶測、推量や見かけだけのご挨拶で、聞き流せば、「スーっ」と通り過ぎてしまう喋りばかりだ。気持ちの通わない言葉はいくら発しても相手の心に響かない。