ボランテイア、NPOだとか、人の危窮を見ては全国からどことはなしにやってくる。無報酬、非営利の奉仕活動だからそこには労働に対する対価はない。つまりそこには人の善意や思いやりが凝縮されているのだ。
でも、そこに活動している個別のスタッフはそんな思いだけで何日も、何か月も奉仕できるのだろうか?当然、手弁当ではないので、受け入れ側が食事、移動手段や宿泊の手当までをする。
つまり、身一つで現地に来たところで受け入れ側のコストはバカにならない。本人らは貢献しているつもりだろうが決してそうは映らない。災害にしても事故にしてもそこに協力する人々には年代もあれば、応援要員にも大きなムラがある。
言葉で言うほど、活動は「ラク」なものではない。暇つぶしと承認欲求だけでは成り立たない。
だから人助けやボランティア、NPO、NGPの活動は一面で、自己満足・達成感・名誉・同情・等々の何かしら自己の利益が関わっている偽善行為や非営利活動ではないかとも思う。そのうえ、中には、それを装い「火事場泥棒」などの悪事を働く不届き者も多い。
ゴミ拾いや募金活動一つを取ってみても他者の情を引くような英雄気取り(社会的名誉や参画意識、相互扶助への貢献)にも見えてしまう。つまり、もっと言えばこうした連中の動きは「ヤラセ」にも映る。
ほとんど実効の上がらない活動を、気まぐれに組織立ってやっているようには見えない。有休な人も多く、ひとたび活動に参加しても自己都合でふらりとボランテイアから抜け出て自宅に戻るスタツフも多い。
見栄えや恰好ではなく、実を上がらせるためにはやはり、金銭供与が必要だ。金を払えば責任と義務が生じる。公共団体や関連団体の本質的な活動を支援するためにはビジネス化が不可欠だ。非営利活動ほど怪しいモノはない。
いつまでも人の厚志や篤志に頼っているばかりでは、そうそう復実現しない。世の中には人知れずに寄付や慈善事業に手を貸している人も多いのも事実だ。