Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

亡き両親との懐かしい思い出

 夕暮れ時になるといつものことのように、ご近所の生鮮魚屋「魚甚」で、小銭を握り締めながらマグロの刺身を一冊買いに行かされたのが幼き頃の日課だった。それを酒の肴に晩酌するのがオヤジの常だった。そんな親父はマグロと蕎麦が大好物だった。でも、一口も口にさせてもらえなかった。

 

 そんなことをじっと見ていたお袋がある日突然キレた。「子どもを使って、そこまでして酒を吞みたいか!」と怒鳴ったことを今でも憶えている。みそ汁の具に玉ねぎが入っていてそれを見た途端、縁側で吐いたこと、その時は親父が激怒、滅法叱責された。そこでもお袋は「具合の悪い息子に対しての罵詈雑言は酷すぎる」と。そこでも母は食事も摂らずに子どもをかばった。

 

 それも今となっては帰らない過去だ。お袋を施設に入居させて実家で独り身となったオヤジとお袋の元に毎週末甲府に帰省した。そして親父を寿司屋に連れ出し大好きなマグロの刺身を存分に楽しんでもらった。蕎麦屋にも良く出掛けて、ソバの味を堪能してもらった。

 

 施設にいたお袋にはいつも添い寝をしてやった。それが両親が亡くなる前に当時できたせめてもの恩返しだった。

 

 オヤジのそれに似たかそれ以来当方もソバ好きとなった。信州穂高の天狗沢に出かけては二枚モリや竹を編み込んだ大ザルに盛られたソバの味を愉しんだ。ただ、最近出向いたものの当時に比べて相当味が落ちたのは残念だ。

 

 でも今から40年以上も前の話、義理の父母と一緒に長野中信の「ハタムラ(波田村)」の農家(母屋)の庭先で戴いた。その時の「田舎そば」の味は格別だった。婆さんが腰を曲げながらも石引を挽き、嫁さんが台所で蕎麦を打つ、何とも言えぬ温もりのある微笑ましい光景だった。

 

 折しも、今は長野東信の「滝沢更科」の蕎麦を取り寄せている。ソバは小麦を混ぜればいくらでも繋げる。しかし味は確実に落ちる。やはりソバは純国産のそば粉に限る(多くはカナダ産の外来)。それにそーめんは「揖保乃糸の一束2千円以上もする最高級品しか食しない」。

 

 そんなそばやソーメンの味がいつまで楽しめるのやら・・・(^_-)-☆。

 「信州信濃のソバよりもワタシャ貴方の傍がいい」。