Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

佐野太の性根の悪さ

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私大支援事業で便宜を図る見返りに、息子を東京医科大に合格させてもらったとして、受託収賄罪に問われた元文部科学省科学技術・学術政策局長の佐野太被告(60歳)は7月6日、東京地裁(西野吾一裁判長)の初公判で「私は無実です。私の知らないところで息子の入試の加点がなされていた。不正の請託も受けていない」と述べて、起訴内容を全面的に否認し、無罪を主張した。

     以上は、(同日付の「毎日新聞」からの報道内容を引用)。

 

    往生際の悪さといい、文科省前局長:佐野太の息子「貴徳」。同医大への裏口入学は地元山梨にとっても恥だが、ヤルことがチイせい!ちいせい。所詮、コイツまじの小悪党だな。

 

   甲州の面汚し、地元の恥!潔ぎ良さもなければ、武士道や男子の本懐の極めもない、情けなしの逃げまくりとウソが多すぎる。説明責任を果たすと云いながら、なんの説明も果たさず起訴された可愛いイ安里夫妻と同類。両者に共通するのは往生際の悪さで何を守ろうとしたいのか(経歴、地位、金目、名誉に家族・親族?)、さっぱり分からんチン哲郎。

 

   息子も息子だ。判決が出ていないため、未だに同大に普通に通学しているらしい。この親にしてこの子ありだ。まあ元々この大学の医学生はほとんどが裏口か訳あり入学なのだ。 

 

     だから大学としても彼だけを退学させられないのだろう。いずれこんな医者に診て貰うと思うと背筋がゾットする。それに、この親が国立山梨大学の副学長だったとは県民でも知る者は少ない。名誉職なんぞ、所詮、カネ、肩書と経歴とコネクションだけで就ける。

 

 さて、ざっと被告の経歴をご紹介して、本日はこれにてオ・ス・マ・ン・ト・ル・コ。

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 1959年 山梨県甲州市(旧塩山市)生まれ、質実剛健」が校訓の名門県立日川高出身

1983年 早稲田大学理工学部 卒業、同大学院理工学研究科 修了

1985年 科学技術庁 入庁

1991年 科学技術庁 原子力局政策課長補佐

1993年 米国スタンフォード大学 留学(経済政策研究センター)

1996年 外務省 在連合王国(英国)日本大使館一等書記官

2000年 科学技術庁 科学技術政策局企画室長、内閣府 科学技術政策担当大臣(笹川堯、

尾身幸次)秘書官、分科会々長の尾身チンではないのでお間違いないように。

2002年 文部科学省 大臣官房評価室長

2004年 早稲田大学 客員教授文部科学省 高等教育局主任大学改革官(教員養成担当)

2005年 文部科学省 高等教育局私学部参事官(私立学校法人担当)

2006年 文部科学省 研究振興局 研究環境・産業連携課長

2007年 山梨大学 学長特別補佐・教授、その後同大の副学長に就任

 

    被告は逮捕され起訴されても、確定判決がまだ出ていないので、身分上は未だに国家公務員のままのようだ。みなさあ~ん、甲州人がみんなこんな奴ばかりだとは思わないでね。

 

 佐野チン、おまんは全く情けねえ奴ズラ、山梨のアカっ恥だ!!二度と郷土の土は踏ませねえから、ぜっていけーてっ来るんじゃねえ~ぞ。てめえの帰えれる場所は「豚箱だ!」何年でもクサイ飯を喰ってろ!東郡(ヒガシゴオリ)の親戚連中が泣いてるじゃんけーっ!