Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

虻蜂取らず

f:id:koushuya:20171012022137j:plain


  ガラケー(ム―ブ)を買ったのが15~16年前、その後店員に進められてiモード携帯電話に乗り換えた。操作が判らず知人に教えてもらうために同じメーカーの同タイプにした。操作も完全に覚えないうちにスマホが世に普及し、あっという間に時代に取り残された。

 

 テレビも冷蔵庫も洗濯機も家電はみんなタッチパネルの電子制御。人感知センサーも室内の様子を写すカメラも遠隔地制御(リモート)。故障や不具合があって取説を読んでもサッパリ?ワカラン?そして、今や音声認識で電気は灯るは、洗濯機は一人で勝手に動いて衣類を乾燥させ畳んでもくれる。そんな時代においてけぼり。

 

 半世紀前までは、街中に自転車、リヤカーやオート三輪車のミゼットが往来した時代。ちょっと、田舎にいけば駐在さんが手信号で、交差点で交通整理をしていた時代。年を取るのが遅いのか時代の流れが速すぎるのか、このところの技術革新とサービスの高度化についていけない。でも、最低限のことを知らなければ、生きていくことさえままならない。

 

   認証、決済、手続、輸送など、それに家計も資産は「マネー・フォワード」とかいってアプリやソフトが管理してくれる時代。あらゆる分野で取り残されている自分にふと気づかされる。人の感情さえ進化して人工知能、機械やロボットに代わられたら、生身の人間は何もすることが無くなる。

 

 そう思うのは、この徳兵衛だけでもあるまい。こうした時代の流れに逆らうかのように、最近、「断舎離」、「ミニマリスト」や「ナチュラリスト」が増えたのはそのせいかも知れない。「二兎を追うものは一兎も得ず」、無理せず欲張らずに自分ができることをすればいい。

 

  (今日のおまけ)

 またもや先週末から、孫姫が当地の御用邸に長逗留。生活のリズムは一変、朝は早いは夜は早いは、夜泣きはするはで家じゅう大騒ぎ。これが隔週で来るものだからこうした生活がすっかり定着。送迎から食事、洗濯まですべて親がかり。

 

 注意していないと、御帰還の際に食器や来客接待用の茶菓子、挙句に米まで持って行かれる。でも、孫の泣き声や笑い顔を見ていると、何かしら心地いい。いくら技術やVRが進化してもこの体感、臨場感に卓る物はない。

 

 息子の子と差別するつもりはないが、できたら暫く休んでからご来宅願いたい。こうも頻繁だと爺と婆の体が持たない。「来て嬉し、帰って嬉し孫の顔!」

最近の運動会事情

f:id:koushuya:20171011010220j:plain

  徒競走で順位をつけるのは、公平性の観点からしても運動能力格差を煽る行為だとして、全員が同時にゴールすることに改められた。それに組体操もあちらこちらで事故が発生したこともあってフォークダンスに変わった。

 

 障害物競走も騎馬戦も同様に怪我のリスクが高いため百足競走に変更になった。パン喰い競走も食べ物を粗末にするとの批判から、完食しないと次の競技に移れず止む無くプログラムから消えた。

 

 赤勝て!白勝て!も競争心を煽るとして、赤白帽も消えようとしている。当方幼少の砌は、小学校の校庭で地域住民や各自治会主催の運動会も盛んに行われ地域の老若男女がこぞって参加し各自治会との交流が深まった。年に春と秋に開かれるこの運動会が待ち遠しかったことを子供心に憶えている。毎夜、体育館ではママさんバレー、校庭では男性諸氏のソフトボールナイターが行われていたのも懐かしい記憶だ。

 

 学校主催の運動会では父兄が場所取りで朝早くシートとお弁当を持って校門の前に並んだ。でも、今やシングルマザー、共働きや週末仕事を抱える父兄もいて平日の運動会開催となったり、父兄の観覧を制限する学校もあるという。

 

 そのうえ、応援の声やBGMが騒がしいと近隣住民からの苦情に、止む無く体育館で運動会を催す学校もあるという。そのうち走ったり、競ったりするのは怪我のリスクや無用に競争心を煽るとして、いずれ運動会も廃止になって全員参加型の舞踊会にでもなるかもしれない。

 

 こんな子供たちはスマホやゲームにばかり興じて、公園でも遊ばなくなった。尤も、公園でもボール遊びは禁止。今は鉄棒やシーソーなども取り外されている。いずれこの子たちが成長した時の日本はどんな国になっているかと思うと空恐しくなる。

 

(今日のおまけ)

   先週末の3連休は、どちらでも運動会日和だったが、土曜日は雨天で延期、中止、体育館での開催と相成った保育園、幼稚園や小学校も多かっただろう。

 

 孫が多くなるとこうしたイベントには両親はもとより、嫁や婿の両親も応援に駆り出される。向こうの爺婆が応援に駆け付ければ、バランス上当方夫婦も弁当持参で駆り出される。これも老体にはキツイ!往復の電車移動で完全に一日が潰れる。これも勤めと割り切っているが、これがひと段落すれば来月は七五三、再来月には、もうクリスマス。休む暇もない。

 

   孫の運動会は園庭が雨天でコンディションが悪く、体育館での開催となった。体育館の床が濡れて滑って、園児も親御さんも危ない!!こういう時はいっそ運動会を中止にして貰った方がありがたい。そう心で呟く爺婆であった。

風に吹かれて

f:id:koushuya:20171010001135j:plain

 タイトルはノーベル文学賞を授賞したボブ・ディランの名曲だ。当方、現役時代は「虚心坦懐」座右の銘として突っ走ってきたが、馬齢を重ねるごとに違和感を覚える。これも季節の変わり目なのか、秋風が吹き朝夕めっきり寒くなると体調も不芳で中々顔も足も前を向かない。

 

 仕事や行事に追われているうちが花だった。退職して3日間ぐらいは清々してのんびりしていたが1週間も経つと時間を持て余す。サンデー毎日は5日もあれば十分だ。なぜかしらこの処、その時に似た時間の流れと空しさが蘇ってくる。身辺整理が進んだせいかその思いは一層強くなる。これって、もしかして「老人性仮面鬱病」、気づかぬうちに精神病?

 

   まさかこの俺様が?ところが普段、明朗快活で活動的な人ほど、落ち込んだ時はリバウンドが凄いと聞く。これ振り子の原理、大きく振れた振り子は慣性の法則に従って、逆にも大きく振幅する。いきなりニュートラルには戻れない。

 

 さて、そこで日常を達観すべく、今日はつらつらと物思いに耽る。目の前の秋空に浮かぶ雲は風に吹かれたままに流れて行き、川は低きに流れる。もともと雲も水も、それは与えられた命(性質)なのだ。人が負った運命も宿命もその人の意思ではどうにもならない自然そのもの、運命に抗っても抗えない。だとしたら淡々と現実を受容するしかあるまい。これ即ち「行雲流水」。流水プール浮かぶ徳兵衛、「虚心坦懐」をさらに一歩進めて、これからはこれを座右の銘としようっと。

 

 でもこれって、一歩間違えると、捉えどころがない、夢がないとか揶揄されて、終いに馬耳東風でやる気がないノンポリオヤジに見られる虞がある。

 

 「行雲流水」の心情。親父の命日が近いこともあってのことなのか、それとも38歳の若さで逝ってしまった職場の女性社員のことを想ってことか。妙に今日は秋風が冷たく感じ、夜もなかなか明けない。

 

(今日のおまけ)

   謝罪はスピードが命だ。間を開けると隠ぺいと取られるからだ。まず、深々と頭を下げ迷惑や損害を与えたことに対して誠実に詫びる。次に、第三者委員会を立ち上げ原因究明を徹底的に行うことを表明する。その上で原因が特定できたなら再発防止策を講じることをアナウンスし公表する。この三点を押さえておけば世間から批判を浴びることは少ない。

 

   隠ぺいしようとすると世間は疑いの目を深める。いじめによる学生や若者の自殺が後を絶たない。学校、教育委員会や会社が事実を隠そうとすればするほど、無為に時間だけ過ぎてしまい、それこそ命取りになる。

 

  (時)間の抜けた謝罪には倍返しの非難が待っている

ファミリー・ヒストリー

f:id:koushuya:20171009001320j:plain

   NHKで人の家族の歴史を本人に代わって取材し、「アイデンティティ」や「家族の絆」を見つめる番組があった。感動ドキュメントとして仕上げられているため、当人の驚き様は視聴者が視ても感動したが、一部には演出過多で事実と違っているとの批判も流れた。

 

    それはさておき、遺産相続を進めるにあたっては、相続人を確定するために「現戸籍」とは別に「原戸籍」を役所から取ってきて確認するのが通常の手続きだ。読み方は少し難しいが亡くなった方のルーツが一目で判る。先祖がどこから来て誰と一緒になって、兄弟が何人いて、隠し子が何人いて、結婚、離婚相手やその回数まで一目瞭然だ。   東京で生まれて育ったと思っていたら、祖父や曾祖父は東北、北陸や新潟県(昔は東北地方)の片田舎家から流れついた人も多い。

 

    また、自分の父や母も二人いたなどといった時のショックは相当なものだ。知らないのなら知らなかった方がよかったのに、自分が相続人であることを確定させるにはどうしても、この「原戸籍」に目を通さねばならない。

 

    当方の場合、幸い相続人は確定したが生後間もなく亡くなった兄弟がいたことも判ったり、祖父が亡くなって祖母が後を追うように亡くなっていたことも判った。姥捨て伝説が今も残る土地柄。ふと深澤七郎の「楢山節考」を思い出した。緒方拳、坂本スミ子清川虹子左とん平・・・懐かしい名優が目に浮かんだ。

 

    当方が亡くなった時に、相続人を名乗る人が、何処からか出てきたりして・・あ~こわっ!!

 

(今日のおまけ)

 最近、手の爪が伸びるのが早くなった。一説には病気の兆候という人もいるが、勝手に自分自身の新陳代謝がいいのだと信じきっている。つまり、持病はあるが血行が良く若返ったということだ。確かに血流は季節が暖かくなると良くなるので今の季節のせいかもしれない。それにしても伸びが早いんだな!0.1mm/日だから5日で0.5mmの筈が1日おきに爪を切っている。

 

 中学時代に漢字を覚えるのに母から教わった「爪にツメなし。瓜にツメあり」と。漢字も年譜もゴロで覚えたものだから、頭の言葉が出てこないと後が続かないし、そもそも時代の遷移が頭に入っていない。でも、ヤマ勘は良く当たった。

 

 ところで、深爪は細菌感染の虞があるので、切り過ぎない良い。それに性別、手足によっても伸び方が違う手の爪は足の爪の2倍の早さで伸び、圧倒的に男性の方が女性に比べて伸びが早いという。女房や恋人の爪が伸び始めたら要注意だ!「美人ほど彼に内緒で爪を研ぐ」

代理婚活会

f:id:koushuya:20171008003142j:plain


 息子や娘のために、お子さまに代わって結婚相手を探す場を提供する催しだ。このイベント、都市部周辺だけかと思っていたら、全国的な拡がりを見せていて、全国各地の市町村が福祉協議会などを通じて主催している。

 

 自分の相手を自分で探さず、それさえ親に任せる。進路も結婚もみんな親がかりだ。世も末。昔は世話焼き婆さんがご近所にいて、本人をはじめ兄弟家族、両親の人柄、財産や出身地や学歴までをも調べ上げ(いわゆる身体検査)、お似合いの御見合相手を探してきた。

 

   この徳兵衛が若かりし頃も2、3度、お見合い話が舞い込んだ。ただ、母は乗る気だったがお相手の見合い写真は一度も開けなかった。肉食系男子たるもの就職、結婚や家庭づくりぐらいは、自分でやらなきゃダメだ。特に結婚相手は自分の目で探して確かめた方がいい。それに自慢するつもりは毛頭ないが、一度ぐらいは相手から結婚を迫られるくらいの方が丁度いい。

 

 このイベント、仕事が忙しい、失業や離婚をしたばかり、趣味に夢中、結婚嫌悪(失望)感を理由にするオコチャマたち。仮にお子さまの了解を得ずに話を勝手に進めたらどうなるのだろう?まあ家庭内は修羅場だな!!でも、ここで草食系男子が肉食系に変異するかも知れない。立て!、撃て!、勝て!、日本の男子諸君!!

 

 もう一つの疑問。参加条件、ご夫婦が参加の場合は5千円、片親の場合は3千円は何となく理解できる。でも娘さんをお持ちの方は20~40代。勿論独身に限るわけだが息子さんの場合は30~40代と制限がある。この男女間の10歳差はなんだ?平均寿命からすれば逆なのだが、旬は女性に早く訪れるということか?パラレルシフトとすれば年上男に年下女が理想ということか?でも出会いは運命のいたずらナノダ。当方は20代半ばで、自助努力にて結婚せり、決してお見合いやナンパではないので誤解なきように。

 

(今日のおまけ)

 最近の駅前は、中華・台湾料理店、インド料理店やベトナム料理店が軒を連ねる。難民法や移民規制の緩和により、一挙に外来種が増えた感じだ。昔は個で来日し地域住民がその地のしきたりやルールを教え込んだものだが、今や集団でやってきて、コミュニテイとして国内に棲みつくものだから、先達の制止も聞かずそこらじゅうがゴミだらけ。河原や公園は勝手に占領され、耕作や造作・建屋を造るのもどこ吹く風だ。注意すれば「ニホンゴ・ワカライ!」「ワタシ・オカネナイ・アルネ」と来て、挙句は居直りだ。それには恐怖さえ覚える。

 

 彼らとの民度の違いは認めるが、秩序や道徳観念は全くない。「水に流す・・」とは日本語では、それ迄の拘りを捨てて鷹揚にして相手と付き合うことなのだ。でも外来種の彼らは、ゴミを窓から投げ捨て、河川に流して身の廻りだけの美観を維持しようとする。モトモト「清掃」が教育や習慣に配慮されていないばかりか他人のモノは自分のモノといった考え方をするお国柄だ。ご近所がゴミで汚れだしたら近くに特定外来種が巣を喰っている。ご注意あれ!!