Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

風に吹かれて

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 タイトルはノーベル文学賞を授賞したボブ・ディランの名曲だ。当方、現役時代は「虚心坦懐」座右の銘として突っ走ってきたが、馬齢を重ねるごとに違和感を覚える。これも季節の変わり目なのか、秋風が吹き朝夕めっきり寒くなると体調も不芳で中々顔も足も前を向かない。

 

 仕事や行事に追われているうちが花だった。退職して3日間ぐらいは清々してのんびりしていたが1週間も経つと時間を持て余す。サンデー毎日は5日もあれば十分だ。なぜかしらこの処、その時に似た時間の流れと空しさが蘇ってくる。身辺整理が進んだせいかその思いは一層強くなる。これって、もしかして「老人性仮面鬱病」、気づかぬうちに精神病?

 

   まさかこの俺様が?ところが普段、明朗快活で活動的な人ほど、落ち込んだ時はリバウンドが凄いと聞く。これ振り子の原理、大きく振れた振り子は慣性の法則に従って、逆にも大きく振幅する。いきなりニュートラルには戻れない。

 

 さて、そこで日常を達観すべく、今日はつらつらと物思いに耽る。目の前の秋空に浮かぶ雲は風に吹かれたままに流れて行き、川は低きに流れる。もともと雲も水も、それは与えられた命(性質)なのだ。人が負った運命も宿命もその人の意思ではどうにもならない自然そのもの、運命に抗っても抗えない。だとしたら淡々と現実を受容するしかあるまい。これ即ち「行雲流水」。流水プール浮かぶ徳兵衛、「虚心坦懐」をさらに一歩進めて、これからはこれを座右の銘としようっと。

 

 でもこれって、一歩間違えると、捉えどころがない、夢がないとか揶揄されて、終いに馬耳東風でやる気がないノンポリオヤジに見られる虞がある。

 

 「行雲流水」の心情。親父の命日が近いこともあってのことなのか、それとも38歳の若さで逝ってしまった職場の女性社員のことを想ってことか。妙に今日は秋風が冷たく感じ、夜もなかなか明けない。

 

(今日のおまけ)

   謝罪はスピードが命だ。間を開けると隠ぺいと取られるからだ。まず、深々と頭を下げ迷惑や損害を与えたことに対して誠実に詫びる。次に、第三者委員会を立ち上げ原因究明を徹底的に行うことを表明する。その上で原因が特定できたなら再発防止策を講じることをアナウンスし公表する。この三点を押さえておけば世間から批判を浴びることは少ない。

 

   隠ぺいしようとすると世間は疑いの目を深める。いじめによる学生や若者の自殺が後を絶たない。学校、教育委員会や会社が事実を隠そうとすればするほど、無為に時間だけ過ぎてしまい、それこそ命取りになる。

 

  (時)間の抜けた謝罪には倍返しの非難が待っている