Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

「差別」「区別」「特別」(2-2)

 昨日は良く分からないお話。この年にして青っぽい話となった。今日はそれを引きずりながらも一転、日常的な足元を見てみよう。食文化を含め文化や言語はその地域性や歴史を強力に押し出そうとする。これが「別々」の象徴的現象だ。

 

 例えば、「なまり」は各地に存在するがこれも地域や国家を共有する大事な価値観だ。松本清張(本名:キヨハル)の「砂の器」を見ても分かるとおり、その地域から飛び地のように出島となった外地に東北弁を使う山陰の「亀高」からこの小説は始まる。それにライ病患者の差別(流浪)が象徴的に描かれている。

 

 何もなく流れた人々こそ、そこに新天地を求めようとし、本拠の文化や食を根付かせようと懸命に文化や人の命を繋ごうとする。それは芸能、役者の世界も内外を問わず同じだ。日本中に〇〇歌舞伎があるように元々そこににはなかった文化を、あたかも古来からの伝統芸能のように継承していく。

 

 もっと砕いて云おう。もともと特産品なるものはその地に生まれたものではなくその殆どが外から流れてきた他所(よそ)モノだ。ただそこに無いがゆえにあたかも地元産のようなことをいう。

 蕎麦を例にすると良く分かる。ソバの文化は良いとこ信州そばと災害地のVRで見た加賀までの東国の文化だろう(拙者は山形の「田舎そば」を嗜好)。それが名古屋では「きし麺」に代わり西に下るごとに饂飩文化へと変化していく。ただ、そのうどんも九州で全く柔らかなうどんを「九州うどん」と称している。

 

 元来我が国は稲作国家であり、ソバ畑があってもうどんの原材料となる小麦畑は全くなかった。今の小麦粉は北米産が殆どで、名物や特産品を持たない地域はそれを機に差別化戦略として、一転「うどん」をご当地名物に仕立て上げた。

 

 言っておくが、「丸亀製麺」なるうどん屋は外モノで香川では一軒も店を出せないでいる。東で言えばそばに近い「稲庭うどん」や「水沢うどん」がご当地名産として名を馳せている。

 

 おっと、ここで大事な地元のご当地迷物の「吉田のうどん」を忘れていた。コメもソバももなく硬いだけのうどんを腰があるとはいっているが、年寄りには歯が立たないくらい硬い。富士北麓には何もないので、国中のホウトウに対抗すべく無理やりこじつけた郡内唯一の迷産品だ。

 

 こうして本拠の文化や食を根付かせようと懸命になる。蕎麦文化が根付いている西国唯一でソバが美味いといえるのは出雲大社で有名な「出雲そば」くらいだろう。どうも山陰には東北の血が流れているような気がしてならない。昔、新潟県は東北地方に挙げられここでも北前船を通じて東北の血が北海道に流れている。

 

 昨日、今日の2連載頓珍漢の内容になってしまったようだ。「大丈夫かい、何を言っているのか、何を言いたいのかさっぱりからない、徳兵衛さん・・・・!!!しっかりしろよ!!」とおお叱りを受けそうだ。