寄合に集会、会議、打ち合わせ好きが背景にあるのか、何故、日本にはリモートワーク(テレワーク)が根付かないのか、今日はその訳を探ってみる。新しい働き方としてのテレワークだが、コロナ禍の中出だしこそソコソコの取り組みだったが、足元実施率は全体の30%程度に留まっている。
社員もテレワークの関心は高いもののイザ実施となると尻すぼみ。感染覚悟でもラッシュの電車に揺られてのご出勤。どうやら企業も社員に出勤して貰った方がいいようだ。
まあ、日本のIT化は所詮「ざる」だけにセキュリティにも問題があるのは事実。そのうえ離れた場所や毎回異なる場所からネットワークをつないで、社内システムにアクセスされると情報漏えいやウィルス感染などのリスクに晒される危険性も高くなる。
関係者に本音を訊くと、威厳を保ち指示、命令したがりの経営者や上司にとっては、テレワークでは面前の部下やスタッフをデスクの前に立たせて「喝!」を入れられない。だから、彼らにはこれほど使い勝手の悪いツールはないのだ。裏返せば従来からの日本型の働き方から抜け出せないのだ。
とはいえ日本文化も生活も「協調性」や「和」が重視、重宝されてきた。お仕事も同じで、「相互扶助」、「協力」が美徳とされてきた。垣根を越えてお互いに助け合いながら働くには上司、社員同士の対面によるコミュニケーション必要なのだ。
それが証拠に、対面授業が叶わずリモート授業を受ける大学生は一度もキャンパスにも行けずフラストレーションは増すばかり。それに友達も作れずサークル活動も出来ない大学生活に全く魅力を感じないと休学や退学する学生も増えている。
よく考えてみると、昔からムラも町も住民らは自治会活動、祭りや運動会など事あるごとに公会堂や公民会に集まっては、意思を統一して地域が一丸となって取り組んできた。夜になると女性軍は小学校の体育館でのママさんバレー、旦那方は運動場でソフトボール。昼に床屋に行けば知り合いが髪も駆らずにお茶をしながらダべリング。縁台では将棋や囲碁に興じるにわか棋士もいた。
つまりですな、日本人はもともと家に籠っての活動は苦手でそうした文化には馴染まない種族。多くの日本人は他人と違うことを非常に嫌う。同じ時に同じことをすることが「和(地域・組織)」の基本となっている。この点は、欧米文化、価値観と大きく違うところだ。
そう考えてみると、「のど元過ぎれば」ではないが、このコロナ禍の感染拡大にあっても、リモートワークが減りだすのも解らなくはない。長時間通勤しながら社員は全員が同時に出勤し、働き、休みも休暇も同時に取る。そして退社したら赤ちょうちんで仲間と愚痴を吐くといった労働環境が馴染んでいるようだ。成果はともかくとして、それが「今日も仕事をしたあっ!」という社員の充足感、満足感にも繋がっていることだけは事実のようだ。
かの如く日本独特の労働文化があるため、それぞれの社員が各自のタイミングで、社外の別の場所(家)で仕事をするという考え方に多くの人は慣れていない。そればかりか、年がら年中、家に居る同居人に妻も旦那も内心は互いに早く出勤してくれと思っているはずだ。