何をどうしようとしたいのかがさっぱり分からんチン珍?筋書きのないドラマは面白いかもしれないが、観ている方はそれでいい。でも、作り手、仕掛け人、制作側にしてみれば緻密な計算やシナリオ、それに台本と「オチ」をどこにするかで作品の良し悪しが決まる。とりわけ今放映の朝ドラなんぞは観るに値しない。
その終点というか落とし処というか、何を感じさせて、何を訴えたいのかが見えぬままに物語や政策を展開していくと、ストーリーはあらぬ方向に流れてしまい、つまらぬ結末と残滓だけが残ってしまう。
今やガキ、ジャリタレや名ばかり有名人の顔見世興行だけの人気ドラマや映画、それに加えて唐突な予算編成やバラマキだらけのお国の政治。これでは視聴者も国家国民、もついてはいかない。
なにしろ脚本もシナリオもなく「ウケ狙い」、「やってる感」、「懸命さの主張」などの見せかけだけでは国体、体制や組織自体が持たない。だからやればやるほど人心はどんどんと離れていく。
何を、何のために、何処に、どのようにして着地するかが描けていないと、つまらぬ紙芝居や茶番劇になっていしまう。諄いようだがそれには綿密な裏付けと取材と証拠(エビデンス)、検証と反省がなければ「つまらぬオチ」になってしまうのがオチだ。
言葉遊びに、政策転換、制度改変に意外なドッキリを仕掛けようとする企て、これって子供の砂遊びと同じじゃん。いつの世も「体制維持」や「権益」と「儲け・利益・カネ」が絡むと碌なことにならない。
監督や三文役者、三流政治家(屋)がこの世を動かす無秩序な時代。体制は常に保身を狙う。ケイサツの捜査やチケン、トクソウの動きもそうだが「忖度」、「配慮」と「落としどころ」が透けて見えてくる。
それ以上のワルが「カンリョウ」と「オエライ」さんに「お母ちゃん」だ。ある意味そこらあたりの「チンピラ」や「ヤクザ」より手ごわい。おバカな人々を手玉とることには長けていて人心を欺くことなど朝メシ前だ。
それほど今のお国は、政治も文化も報道もあらゆるところが「ハリボテ」や「麩菓子」のような世界に陥っている。