Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

建前と本音と心弱さと

 建前とは原理・原則。本音とは真実、心情、本当のことである。これをどんどん掘り下げていくと、建前は表向きの抗弁、外面、言い訳、体裁、外構、欺瞞。本音とは外からでは見えない現実の裏側、秘匿事項、実情、裏話、現実ということになる。

 

 最終的には建前とは言葉遊びであり「ウソ」を突くことである。一方、本音とは「本当のこと」であるが、よく、よく考えるとどちらも同類語かもしれない。

 

 雪道で車がタイヤスリップして一向に前に進まない。本来車は、乗車している人や貨物を運搬するのが目的なのにそれが果たせないない。そうすると、人の動きは止まり、物流が滞る。場合によってはこうして立往生している間に故障や大事故が起きることもある。

 

 さて、本来の車の機能性ばかりを議論したところでこの車は動かない。今の社会を観ているとこうした実効性のないことばかりで、人々も、組織も、制度も現実に真剣に向き合っていない。まあ立往生しているその前にガソリン切れになるだろうけど・・。

 

 今から「異・次・元」の少子化対策なども、結局は児童手当の引き上げ、出世払いの奨学金制度だけ、こうしたことでは何の(人口)対策にもならない。あと2、30年もすれば、若い人は殆どこの国に居なくなり、ケイサツ、消防、自衛隊、医療、介護や(後継)職人など、若手の仕事の仕事分野(現場)はどんどん縮小、弱体化し荒廃していく。

 

 やたらと転職CMが多く流される中、人出は多いが、人(働き手)がいなくなっている。いま賑わいの観光地の店、宿泊施設でも、売り子、スタッフやそこに食材や荷物を届ける現場労働者が圧倒的に不足している。

 

 こうした事態が続くと、この先、国力は削がれ、若者や子供たちに限らず老人の自殺、心中、孤独死、引き籠り、不登校、イジメや虐待などがあらゆる階層で増え、凶悪・殺人事件も急増する。

 

 殺伐とした時代の到来する中、相変わらず本音を語らない政治家、役人、教師、警察官、それに子供たちまでも建前論ばかりで心弱く嘘をつくことだけが巧みになる。

同情するなら金をくれ!

 その昔、安達祐実が子役での人気番組があった。そう「家なき子」だ。今の若い世代は全く知らないかもしれない。

 

 このフレーズ、よく考えてみるとこの徳兵衛にとっては、感情論と責任論の対比であることを今更ながら分かったような気がする。そうするとこのフレーズだけで大凡の世の中の動きや、人の営みが理解できる。

 

 「あら、大変そう!」、「辛そう」、「苦しそう」、「悲しそう」、「嬉しそう」や「幸せそう」などの感情は自身が一方的に相対する事象に抱く感動・感情であって。立場、環境、境遇、経緯・経過や実情などを把握した上での心理ではない。

 

 つまり、状況や風体、出来上がりの様子や仕上がりを身勝手に想像しているだけなのだ。この真逆が「頑張って!ファイト!!」と差し障りのない表現となって現れる。小さい子やお年寄りが苦境にあっても、もともと本気度のない人間ほどこうした感情を抱きやすい。

 

 これが、「同情するなら・・」の感情論。一方、「カネをくれ!」の責任論は現状を打開するために、必要な制度、仕組みなどを冷静かつ客観的に見て何が必要かを問う言い方である。

 

 ここには価値観というか、モノの道理というか、尊厳というか、真に必要とされる社会的意義などが見え隠れする。そこが見えない人ほどよく口にするのが、逃げ口上の「それは自己責任だ」を口にする。おまけにいい大人になっても「ピースサイン」に「カワイイ」は喰うにも喰えない。

 

 命なのか、健康なのか、安全なのか、安定なのかなどの何に価値を求めるかによって動きが異なる。そこがはっきりしないと「丸投げ(責任転嫁)」、「ご自身のご判断で」や「世界的に見て」となる。

 

 今回のコロナ禍での対策一つとっても、国は自治体に丸投げ、今回の規制(制度)緩和もそうだが、「アベノマスク」を見てのとおり、同調圧力に屈しやすい日本人の特性を逆手に(悪)手を打ってくる。典型的なのが、明確な科学的根拠もないままに実施される「マスクの取り外しは任意」の緩和策。

 

 隣のクラス(学校)の児童は全員マスク、片や隣のクラス(学校)では全員ノーマスクてなことが起きるだろう。ここで出る相場は決まっている「校長先生どうしましょっ!」、「ウン!それは教育委員会に聞いてみよう・・・」、「最終的には児童と家庭の判断だ!」。

 

 児童の命、健康維持(確保)や安全対策に最も大切なことは何かをどの先生も答えられない。さて、この場合、職員室にいる教員のマスク装着率はいかがだろう?この一手、さらに混乱を助長してるようにしか見えない。

学習効果

 響きはいいが、これは学習できない人、学習しても意味がない人、学習しようとしない人、学習してもすぐに忘れてしまう人や経験が生かせない人、応用力、判断力や想像力が働かない人、同じ失敗を繰り返す人などを揶揄して使われる「学習効果」。

 

 例えば今回の大雪で各地の高速道路で渋滞が延々と続き、幹線道路もマヒ状態、車に閉じ込められて「水がない、食料がない、トイレができないガソリンがない」とのボヤキ、怒りに諦め。こんなこと今までに何回も経験してきたことだが同じ失敗を何度も繰り返している。「学習効果」がない。

 

 それにJR西の通勤快速15本が雪の中で10時間もストップ、車内は糞尿であふれ最終的に乗客は雪の中線路を歩かされた。予見、見通しの甘さ、リスク管理・対策どれをとっても「学習効果」がない。

 

 それをどのニュース番組も採り上げ、各地の積雪状況や天候を番組枠一杯ひっぱり、ニュースを終える。そんなことは一度視聴すれば分かることだし雪深い地域では当たり前のことだ。こと、片や国会が開会しいよいよこの先の国民生活が大事な局面なのに。

 

 ニュースネタがない訳でもないが、局としては情況伝達だけで番組シナリオを作ってややこしい専門家やコメンテーターの意見を聞きながら進行する必要もない。お粗末だがここでも「学習効果」がない。

 

 この6月から電力各社が電気料金を30%をも値上げする。その一方で天然ガスや石油の輸入価格の上昇から「節電に努めて下さい」と懇願する。普通は「節電すれば料金単価は現状維持か値下がりするものだ」、お年寄りなどの夏の熱中症対策で「なるべくエアコンをつけて室温を下げてください」と云っていたのと同じ構図だ。このチグハグ感「学習効果」がない。

 

 首相の側用人(秘書官)の息子が岸田お父ちゃんの外遊に同行。お父ちゃんのお仕事の間にこっそりと公用車を使ってパリやロンドンなどでのんびりと観光やショッピングに興じた。これは論外、「学習効果」がないどころか「コイツバカじゃねえの?」。

 その一方で関東周辺で凶悪なタタキ(強盗)や強殺事件が相次いでいる。警察当局もここに来てやっと重い腰を上げた。予算バラマキの国家防衛や子育て対策より国内の治安維持が優先だろう。優先度、緊急度、危険度の峻別ができない。コロナ対策然り「学習効果」がない。

 

 老婆心ながら申しあげておくが、こうした凶悪事件の対象となるお宅や家人。この情報、街角でよく見かける空き室でお年寄りなどを集めての高級羽根布団や健康食品の即場予約即売会。ここで、住所・氏名・電話番号どころか家族構成や普段の生活費の工面までもアンケートされる。ここでの情報は名簿屋を通じて犯罪者側に廻る。そこでターゲットが絞られる。これは老人趣向をついた巧みなイカサマ商売だ。お年寄りにはもはや「危機感」も「学習効果」を求めるのは無理かも知れない。その分、周囲が気を払うベッキーだ!

見栄と意地

 この違い分かります?見栄は人をダメにして意地は人を成長させる。という。

 失敗はここから始まる。見栄には自分自身がないつまり常に他人の目を意識して虚栄や虚勢を張り裏切るのである。地位、ポジション、人格、信用を取り繕って周りを観ながらもう一人の自分を造ってしまう。

 

 これ一旦作ったら「あっ!これ違います。ご破算にして元の位置に戻ってやり直します」という訳にはいかない。人生で躓く人、失敗を重ねる。詐欺、犯罪やココロの置けない人はこうして益々、地獄から抜け出せない。ともすると家族や身内からも信頼されなくなり孤立化が進み自暴時期となる。

 

 次に、意地とは何か?平たく言えばプライド。悪くいえばつまらぬこだわりとワガママかもしれない。自身のプライドが許せない、自分を裏切ることはできないといったフレーズは正に「意地」だ。

 

 見栄は他人の目を意識だけを気にするが、意地は自身の心根というか信条がそうさせるものだから性格的にはチョト違う。

 

 だからこそ、周りの人はその一言が他人の目を意識しての言動なのか、それともその人の信条や心情を吐露しているのかが見抜く力が必要になる。

 

 多くの喋りは、自身を良く見せようとその殆どは虚言だ。部分的つまみ食いをして誇張して「盛る」のだ。ここを見抜くのが相手側の真骨頂なのだ。時にヤーさんが肩で風を切って両手を振り回すのは動物学的にいうと自分の縄張り「シンジゲート」を相手に少しでも大きく見せようとする虚勢の何ものでもない。

 

 「意地」は、独善的な価値観だから、相手にとってはどうしようも対処のしようがない。相手側も一定の価値観(意地)を持っているから、これがぶつかった時は始末が付かない。平たく云えばこれが「意地の張り合い」。

 

 どちらにしても「見栄」も「意地」も張り出すと引くに引けないのだ。さあ、貴方はどっちタイプの人間だい。

 

 本日、午前中早々に「ご退院おめでとうございまいう」の運びとなるも。一抹の不安が残る。

大腸ポリープ切除第二期工事

 昨日、15:00を廻って看護師が処置室まで来るようにと病室まで呼びに来た。どうして午後一ではないかって?腸管洗浄剤を朝から呑んでもデルは出るのだが、一向に透明のスイヨウ(水溶)ベン(便)ケーシーになってくれない。

 

 少しでも固形物が残っていると内視鏡で部位が特定できない。普通なら4回程度の排便でそうなるのだが、当方、一昨日からからかって、午後2時を過ぎてもオッケイが出ない。気持ちは焦る一方だ。

 

 すると看護師が病室まで追加の下剤を持ってきた。これじゃあ「わんこそばならぬわんこ下剤だ」。「アイよもう一丁、さらにオマケにもう一丁、ついでにもう一丁」とくる。

 

 結局、オッケイが出るまで9回も重ねることとなった。これにはいささか萎えた。点滴スタンドを押しながら処置室に向かう。

 

 さてこれからが本番だが鎮静剤は2時間も持たない。処置開始は15:20から終えたのは17:50何と2時間半の大バトル。途中から下腹部が痛みだした、内視鏡を無理やりぐりぐりと押し込みながら横になっていてもパチパチとクリップの音が聞こえる。

 

 とりワケ、S状結腸と直腸にできた2センチ大のポリープは術後先生曰く「最終的には病理検査の結果待ちだが、大きさも、形状も、硬さもあまり良くない」との宣告。

 

 なんでこうなるのか自分自身でも分からないが、昨年12月の第一期工事は16個を処置。昨日の第二期工事はな、なんと18個も収穫し全部キノコ、タケノコ類は処置したとの術後に執刀医師から説明を受けた。

 

 想像を絶する数の多さだ。これで都合34個のポリープを切除。これを全部無傷(良性腫瘍)で切り抜けるのは至難の技だ。病理検査結果は来月の節分開け、そのうえ定期検査が通常ベースの2年間隔から6か月間隔に短縮された。

 

 昔から「腹黒い」と云われたこともあったが、腹の中が此処迄なっているとは・・紙おむつを充てながら気の休まらない日々がしばらく続く。