Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

見栄と意地

 この違い分かります?見栄は人をダメにして意地は人を成長させる。という。

 失敗はここから始まる。見栄には自分自身がないつまり常に他人の目を意識して虚栄や虚勢を張り裏切るのである。地位、ポジション、人格、信用を取り繕って周りを観ながらもう一人の自分を造ってしまう。

 

 これ一旦作ったら「あっ!これ違います。ご破算にして元の位置に戻ってやり直します」という訳にはいかない。人生で躓く人、失敗を重ねる。詐欺、犯罪やココロの置けない人はこうして益々、地獄から抜け出せない。ともすると家族や身内からも信頼されなくなり孤立化が進み自暴時期となる。

 

 次に、意地とは何か?平たく言えばプライド。悪くいえばつまらぬこだわりとワガママかもしれない。自身のプライドが許せない、自分を裏切ることはできないといったフレーズは正に「意地」だ。

 

 見栄は他人の目を意識だけを気にするが、意地は自身の心根というか信条がそうさせるものだから性格的にはチョト違う。

 

 だからこそ、周りの人はその一言が他人の目を意識しての言動なのか、それともその人の信条や心情を吐露しているのかが見抜く力が必要になる。

 

 多くの喋りは、自身を良く見せようとその殆どは虚言だ。部分的つまみ食いをして誇張して「盛る」のだ。ここを見抜くのが相手側の真骨頂なのだ。時にヤーさんが肩で風を切って両手を振り回すのは動物学的にいうと自分の縄張り「シンジゲート」を相手に少しでも大きく見せようとする虚勢の何ものでもない。

 

 「意地」は、独善的な価値観だから、相手にとってはどうしようも対処のしようがない。相手側も一定の価値観(意地)を持っているから、これがぶつかった時は始末が付かない。平たく云えばこれが「意地の張り合い」。

 

 どちらにしても「見栄」も「意地」も張り出すと引くに引けないのだ。さあ、貴方はどっちタイプの人間だい。

 

 本日、午前中早々に「ご退院おめでとうございまいう」の運びとなるも。一抹の不安が残る。