Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

眼力

 「目は口ほどにものを言う」。これは昔からよく言われる「諺」だが、誰彼にかかわらず、顔は笑っていても目が笑っていない奴や、川の向こうでは葬儀に嗚咽をしながら大泣きをする女性らも大勢いる。

 

 葬主や近親が棺のそばで「アイゴウ!(哀号)」と叫んで悲しみ泣く習俗がある。「哀号!!」とは、たいへん痛い、悲しい、力がいる、驚く、痛恨に耐えない、あるいは追い詰められたときに発する感嘆語だ。

 

 云い方を替えれば葬儀の時に、遺族の代わりに故人を悼み、狂言とまではいわないが「悲しい」、「辛い」、「寂しい」などを表現するために大々的に行うセレモニーの一幕なのだ。

 

 しかも国内においても場所や地域によっては独特の節をつけて、一斉にあるいは延々と泣きじゃくることをして、過剰な演出を披露することを生業(生計を立てる)とするメードインジャパンの「泣き女」さえもいる。

 

 涙は死者へのご馳走であるとされ、一説には、悪霊ばらいや魂呼ばいとしての性格も併せ持つとされているらしい。

 

 表に出て来たお相手の表情や態度のオーバー・プレゼンスに惑わされてはイケナイ。冷静に現実に目の前で起きている事実をしっかりと見つめ、自身と相手の心に向き合うことが大切だ。

 

 上滑りしているお笑い芸人、悲劇のヒロインを演ずる三文役者や咄家のいずれもその同類だ。前から気づいていたがその典型は「笑福亭吊る兵衛」。落語家としての実力はともかく、何をしても笑う、そして周囲の笑い顔を誘う、だが、その表情に全く目が笑っていないことを、みなさんはお気づきだろうか。

 

 人当たりが良い、相手の感情に素早く反応(同調)する連中ほど信用ならない。だからこそ、薄ら笑いやウソ泣きに誤魔化されず、相手の心を見抜く心眼が必要なのだ。まあ、この年になってようやく(心)眼力が早々に養われないことを自らを悟る。

 

 お相手の本心(こころ)が見通せれば、信頼も愛情も増す。その点、まだ当方パートナーのこころさえ読めないのは忝けなく、申し訳けござらん。心境は「よわり八月、盆の月・・・!!」なのだ。