Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

望月(※写真は23日の京都新聞記事から)

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    2018年11月22日(金)の日付が変わる深夜、藤原道長が「この世をば我(わ)が世とぞ思ふ、望月の欠けたることもなしと思へば」と一句を詠んだ。そして、この日は平安時代から数えて千年後の満月だった。その月をとある神社の瓦葺きの屋根の上に見た。引いた御御籤は吉兆の「吉」、そしてこの年、当方も人生の曲がり角を迎える。

 

   この句の意味は、「この世は私の天下だ、この満月のように権力に欠けたところが一つもない」と言われている。その藤原時代も1156年保元の乱で終焉を迎えることになる。どんなに全能感があっても終わりは空しく悲しい。その日に相前後して珍しいアーク(逆さ虹)の写真が知人から送られてきた。一説にはどんぶり鉢のように幸せを受一杯受けることができる「吉兆」ともいわれている。当方の身を案じた粋な計らいだと感謝した。と、勝手に自己解釈。

 

    ただ、この虹、指を差したらせっかくの吉兆が凶転となるとの言い伝えがある。一般的に指をさすことは相手に対しては無(非)礼なことであって、何かにつけて親指を隠せと親から言われたことを思い出す。

 

   葬儀や霊きゅう車をみたら、親指を隠せ、そうしないと指が腐ると教えられた。つまり親指を隠そうとすると、手を握ることとなり自然と指がさせなくなる。なるほど合理的な理論展開だ。こういう教え方や躾をしていれば子供も素直に育つような気がする。

 

    ところで、相変わらず寝つきが悪く、夢をしょっちゅうよく見る。どちらかというと追われるような、困り果てたりするような、汗をかくような夢ばかりだ。そういうときは親指(蛇の頭)を噛むと安心して眠れるそうだ。よし、今晩から一つやってみるか!知人からの一枚の写真が、快眠のヒントを与えてくれた。

 

(今日のおまけ)

    購読している朝日新聞の朝刊に「患者を生きる」(サブタイトル:食べる)という記事がシリーズで掲載されている。記事はこれまで都合五回となる。第一回目は、食事中突然の胸のつかえから始まって「がん」であることが分かり、それが転移して、その後放射線治療の苦しみに耐え、それでも彼女は長男の成長を糧にそれを愉しみに今も闘病生活を続けている。

 

   そしてその長男は、いま横浜市内の病院での医師として採用が決まり、病院勤めをしながら母親の看病をしている。このお母さんの病名は「食道がん」、当方と同じ病気だ。奇しくもこの時期にこのタイミングでこの記事を目にするとは、何か不思議な縁を感じる。