その昔、安達祐実が子役での人気番組があった。そう「家なき子」だ。今の若い世代は全く知らないかもしれない。
このフレーズ、よく考えてみるとこの徳兵衛にとっては、感情論と責任論の対比であることを今更ながら分かったような気がする。そうするとこのフレーズだけで大凡の世の中の動きや、人の営みが理解できる。
「あら、大変そう!」、「辛そう」、「苦しそう」、「悲しそう」、「嬉しそう」や「幸せそう」などの感情は自身が一方的に相対する事象に抱く感動・感情であって。立場、環境、境遇、経緯・経過や実情などを把握した上での心理ではない。
つまり、状況や風体、出来上がりの様子や仕上がりを身勝手に想像しているだけなのだ。この真逆が「頑張って!ファイト!!」と差し障りのない表現となって現れる。小さい子やお年寄りが苦境にあっても、もともと本気度のない人間ほどこうした感情を抱きやすい。
これが、「同情するなら・・」の感情論。一方、「カネをくれ!」の責任論は現状を打開するために、必要な制度、仕組みなどを冷静かつ客観的に見て何が必要かを問う言い方である。
ここには価値観というか、モノの道理というか、尊厳というか、真に必要とされる社会的意義などが見え隠れする。そこが見えない人ほどよく口にするのが、逃げ口上の「それは自己責任だ」を口にする。おまけにいい大人になっても「ピースサイン」に「カワイイ」は喰うにも喰えない。
命なのか、健康なのか、安全なのか、安定なのかなどの何に価値を求めるかによって動きが異なる。そこがはっきりしないと「丸投げ(責任転嫁)」、「ご自身のご判断で」や「世界的に見て」となる。
今回のコロナ禍での対策一つとっても、国は自治体に丸投げ、今回の規制(制度)緩和もそうだが、「アベノマスク」を見てのとおり、同調圧力に屈しやすい日本人の特性を逆手に(悪)手を打ってくる。典型的なのが、明確な科学的根拠もないままに実施される「マスクの取り外しは任意」の緩和策。
隣のクラス(学校)の児童は全員マスク、片や隣のクラス(学校)では全員ノーマスクてなことが起きるだろう。ここで出る相場は決まっている「校長先生どうしましょっ!」、「ウン!それは教育委員会に聞いてみよう・・・」、「最終的には児童と家庭の判断だ!」。
児童の命、健康維持(確保)や安全対策に最も大切なことは何かをどの先生も答えられない。さて、この場合、職員室にいる教員のマスク装着率はいかがだろう?この一手、さらに混乱を助長してるようにしか見えない。