Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

曖昧モコにまやかし、ごまかし!

 昔は評論家として一目も、二目も置かれ、さすが評論家と敬ったものだが、今は、評論家と言わずに分析家あるいは●〇ジャーナリストとかいって、いい加減なことをほざいている。

 

 和菓子評論家は「スイートジャーナリスト」、動物愛好家は「アニマルジャーナリスト」なんとなくその筋の人に聞こえてしまうから不思議だ。

 三流コメンテーターやタレント芸人のそうだが、TV局の圧力か出演者の所属事務所の方針かもしれない。「おそらく」、「可能性も捨てきれない・・」、「・・も考えられる(否定できない)」。と、語尾は決まって言葉を濁すのが常。マスごみは対立軸を煽って、視聴率や購読者数を伸ばすのが得意だ。それにしてもアカヒ新聞の今年からの月額46百円の購読料は高すぎ良太郎・・!

 

 お前の判断はないのか、自身の考えはないのか、と、猿芝居のように見えて仕方がない。政治ジャーナリストなるものは時の政権の有力政治家の意を受けて友軍かの物言いをする。おそらくTVに出ずっぱりのT評論家はその昔の政治家の恩義を受け仕事をしているにしか過ぎないのであっただろう。

 

 その昔、物事をはっきり言わないのは、日本文化の特性や奥ゆかしさでもあった。でも今は言語の貧困、相手を思うあまりの・・・忖度や配慮。声高に決する言葉は聴かれなくなった。これって文化、価値観の貧困世相。

 

 そこへ行くと医者ははっきりものを言う。「イエス、オワー、ノット」、「決まって余命は3か月です」と短めにいう。それも話法で「患者がそれ以上延命すると、よく頑張ったなと涙を誘う」のだ。