Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

知らぬが仏

 後世は史実と事実を夢物語のように語り繋いで、歴史や過去を美談、美化しようとする。昔は、昔なのだが、それは明らかに違う。

 

 現実もそうだが介護老人を殺めた夫や息子、知らぬ間に独居していた高齢者が家の中や布団の上で朽ち果て、異臭を放ち見る影もない体にはウジが沸き蠅が辺りを飛び回る。

 

 教科書に出てくるような過去、歴史や戦はない。四文字熟語を駆使する官僚。下流官僚ほど、木っ端役人ほど横文字やカタカナを使いたがる。

 

 「切腹」なぞ、潔く腹を切って自死することだが、そんな簡単には腹だけを切っては死ねない。臓物を引きづりだし辺りが血の海にならない限り命は落とせない。戦国時代も戦時中もそうだが敵軍兵の首をとるということは如何に過酷で凄惨かは分かっていない。

 

 あたりは死臭が漂い血の匂いが蔓延し、五体はバラバラ、顔は潰れ頭からは脳みそが吹き出している。そんな光景はTVでも映画でも再現しない。それは娯楽でありエンターテイメントであるから敢えてそうはしない。

 

 昔、幼少の頃、二次世界大戦中、シナ重慶まで行軍した陸軍士官の叔父が語った。大陸では勢いの余り、婦女子にはやり放題、やった後は銃剣で刺したり銃殺したという。生体実験に生殺し、それは聞くだけでおぞましく想像をはるかに超えた世界だ。

 

 戦、戦い、戦争というものはそういうものだ。今のウクライナ紛争がそのことを如実に伝えている。そうしたリアルな現実は誰も伝えようとせず、ショッキングな映像や伝承は語るに及ばない。

 

 最近、ご近所でご婦人と愛猫がひっそりと自宅で亡くなっていた。老いてペットに対する異常なまでもの性愛は、心を癒すというがその後の始末は誰が追うのか?

 

   野良犬を拾ってきたあの頃、娘が神社の社殿の下で親に内緒で子猫を飼っていたこと、こっそりと家の中の食べ物を運んでいたこと、これまで、当方もいろんな殺生をしてきたが、極限の生々しい生き死は経験も見たこともない。知らぬが仏かもしれない。