五十だからと思っていた五十肩。六十肩、七十肩と加齢を重ねるごとに肩が痛む。整形外科に往ってブロック注射をして貰ったところで所詮対症療法。一時はいいがすぐ薬効がキレて再びの痛みの連続。相変わらず腕は上がらず、首も回らず普段の生活に難儀している。
こうしたパターン、若者とて老人とて同じことで、一事が万事―ジャンプ。まあ何処に行っても年寄りだらけ。病院の受付も、会計精算時にもクドイ話が延々と続く。コンビニやスーパーでは支払いに小銭を延々と払い続け、後列の客が腹を立てる。
尤も困ったものが街中を車で走行している時だ。突然、追い抜き、幅寄せ、転回や場合によってはコチラに突っ込んでくる。
ドライバ―を見てみれば、男女を問わずどなたも彼処も白髪交じりの老人だらけ。狭い空間と昔取った杵柄で情緒が一方に傾いている。
だから何をしでかすか分からにので余計に怖い。先日も直進する当方の車に、対向車線からの右折車に急に突っ込まれそうになって大事故になる寸前だった。
運転手をみれば老齢(老衰)な男性。歳を取ると他人の意見に耳を傾けず、自分よがりの傾向が一段と強くなる。運転に限らずそんな人たちが今の世の中を作っている。
街中を見渡せばそこらじゅうが「老人」だらけ、つまり「老人過多(肩)」だ。高齢化社会はすでに到来していて、世の中の危険度は以前にも益して危険が危ない。
斯くいう当方もいつの間にかその世界に足を染めている。