Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

無作法、失礼、無礼千万!

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  食事もお茶を頂くときも膝を折って正座して頂戴するのがお作法。畳の縁は踏まない。襖や障子を開け閉めは座って静かに行う。など、昔からの躾で教えられたが最近は無作法、無礼、不躾が罷り通るようになった。これこそ慇懃無礼

 

    「お・も・て・な・し!」には、お盆に茶器や湯呑みを載せてそっとお相手に差し出す。こんなことはお作法の常識なのだが、「お盆」そのものさえ知らない若者も多い。そのことは箸の持ち方や器の持ち方,、ご飯の残し方などの所作を観れば「お育ち」や「お国」が直ぐわかる。

 

    いきなり茶碗を口に持っていくお方は食べることに対する本能が優先するから「お下品」に映る。だからこそ、戴くときはじっと我慢して「ユルリ、ソロリ」とするくらいが丁度いい。

 

     がっつく、早食い、掻き込みする人間ほど貧乏人が多い。まあ、斯くいうこの徳兵衛もその類に洩れないものの不思議と、教員、校長、局長、大地主や旧家の出(身者)にはこうした貧相な輩は少ない。

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   なぜ最近のオトナが無礼なのか。高度経済成長期に育った連中はまともな公衆道徳心がなく気遣いもない。

 

 電車内で平気で靴を脱いでむれた靴下をさらすオヤジ。地べたに坐り、不必要な唾をたらす若者が出ても当然前の人を押してまで電車の席に突進するオバはん。

 

 ホームで並ばずに割り込む若者が出ても当然身障者などをあからさまに眺めるオバちゃん。成人式などの式典でおしゃべりする若者が出ても然るベシ。

 

 こうした不作法には共通点があるのだ。自分を全開にして人前で自分を出しすぎることがその要因である。公衆場面は評価場面に入らないのだ。つまり公衆意識の欠如しているのある。

 

 いわば、自己制御力が効かないのだ。そもそも自己抑制こそが作法の本質である。抑制なき者は幼稚か野蛮と映る。

 

 「近ごろの若いやつは」と言って他人を批判する前に、どうか若者が見習いたいと思う大人に、若者に範を示せる大人になってほしいものだ。