Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

ちょべりばっ!

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 「チョベリバ」という言葉を記憶しているだろうか?1996年頃の流行語だ。当時は女子高校生のルーズソックスがはやり「ガングロ」の若い女性が街を闊歩していた。

 

 時代とともに言葉は変わる。当方が「ヘタレ」という言葉の意味を知ったのもつい最近だ。「モッコり」、「ほっこり」、「まったり」の言葉の意味が違うことや使い方は今でも分からない。無理して爺さんがこういう言葉を使おうとすると、周囲が気を遣ってむしろ哀れにも映る。

 

 まあ、当方が覚えているのは、せいぜい「夕暮れ族」とか「たそがれ族」くらいが限界かもしれない。いまはどんな言葉が流行っているのかは興味もないが、日本人でありながら最近の日本語の乱れは目に余る。

 

 電子メールやSNSの発達で、略語や短語が氾濫し、語尾に「ッス!」をつけるのも気になって仕方がない。きれいで流暢な日本語はどこへ行ったのか?小耳、小股、小鼻の意味を正しく答えられる若者はいまここに何人いるだろうか?

 

 そのうえ、「ら」抜きの喋りも気になる。「来れますか?」「来られますか?」の違いと誤った使い方を存じ上げている方々は、ここに何人いらっしゃるのでしょうか?

 

 なにしろ、「躾(しつけ)」、「道徳」や「マナー」、「えケチっと」、「礼儀」や「作法」、「礼節」や「敬い」等々、こんなことを言い出すのは当方のようなお年寄りだけかも知れない。

 

 司法や最高検歴任の重鎮らが「嘘はついたが隠蔽ではないとまでは認定できない」こんな理論が国の中枢でまかり通っている。では、「嘘は何のためにつくのか?」、うちの孫でも答える「それはね爺ちゃん、本当のことを隠すために嘘をつくんだよ!」「一つの嘘をつくとね、その嘘を隠すために20個の嘘をつかないといけないんだよ!」「だから嘘はついちゃダメなんだよ!」と。

 

    こんなこどもでも理解していることが、今の世間では全く通用しない。こんなことでは、正義、正道、まっとうな生き方をしている、しようとしているこれからの人間たちに、いまの大人たちは胸を張って、意見できるのか!

 

 「チョベリグー」どころか「チョー!ベリー、バッド・・」そんな世界が未だかつて、続いている。情けない、空しさだけが残ってしょうがない。