新コロナもそうだが、ウィルスには土日、盆暮れやまして年の瀬や年明けも全く関係るまい。機械的に医療を提供する側にとっては、患者ひとり一人に看護ケアなるもう一つの基準があって、それに従って医療をする。
患者に接触するのは医療従事者であって、当事者のDoctorが患者と接することは滅多にない。その分看護師や介護士に負担が重くのしかかる。
こうした危機的な状況に陥っては受け入れも体制も整わない。それを一括りにして挙句に医療崩壊という。
集中治療室やMCUは重篤患者や術後の経過観察のためにいつも満床だ。当方も術後スパゲテイ症候群で、身体もに何本ものチューブが入っていて、その後の傷跡は自分自身で今見ても生々しい。
でも、こうして手術を終えて快方に向かいながら、一本、一本チューブが外れていく病気なら良いのだが、生涯チューブを付けたまま制約受ける患者もかなり多い。時によっては声も出せず、意思も伝わらないことがままある。
このような患者のみなさんにとっては、盆も暮れもなく、年の瀬も新年もない。一度チューブが切れたら絶命してしまうのだから・・。皮肉なことに、それでも、無理やりチューブを繋いで、呼吸器や延命器なしでは生きられない患者も多い。
今やコロナ禍の一方で、追い込まれている重篤患者も多い。あっさりと意識のないままに病状が急変してご不幸にも絶命する方々も少なくない。
命と引き換えに、年の瀬も年明けもなく、愚妻も元旦から長年にわたる隔日の血液人工透析に出かけた。