Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

浮かんでは消えるボヘミアン!

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 「アンバランスが崩れてる」、「赤面が赤くなる」、「尻と顔が熱くなルー大柴!」は、家内のお得意百選。でもこれ言い得て妙、なんとなく表現したいことが伝わるから不思議だ。

今日つまらぬお話の連続のお付き合いを。これではこのブログも「炎上」なども想像だにできない。

 

    さて、「いい味を出して枯れる」とは、銚子の煮干じゃあるまいし、そう、浅草寺脇の「兜屋」のラーメンは煮干し出しとワカメや海産物の醤油出汁の絶品で当方のお好みなのだ。それに「かき揚げ丼」の有名店、門前の外れになんとも絶品お店。この店の名前も忘れましたが最高のお味でございました。「洞窟」もいいけど、こちらがお薦めだす!!

 

 さて、さて、その「枯れ具合」とは、加齢臭、老臭や老醜をさらすものではなく何気にオシャレで細かい処にも気が廻り、老いた味を悟り、最後の最期まで醜態を見せない。これこそがいい味をだす、つまり「引き際の美学」なのだ。

 

 お年寄りは何かと、着るもの一つとってみても「ツモイ(きつい)」といって、靴下やズボンなどを身に着けるのを嫌がる。そうなってくと、ベルトよりゴム紐で抑えたジャージ類をやけに好むし、靴下さえ足首にかかるゴムを切ってルーズソックスの方がいいらしい。

 

      これって、「ガングロ」とおんなじ、老いも若きもその昔の中高大生かよ!昔の「全学連」も似たような風景だ。当方の亡きオヤジも晩年、スズランテープを腰に腰にしながら暮らしてのには流石に閉口した。

 

 最近の若い女性がその昔、ボデイスーツ、ガードルやパンストを愛用していたものが、今頃の女性はそうした類のものは身に着けないらしい。共通しているのは縛れる、拘束されることへの潜在的な拒絶、拒否感があるのかも知れない。でも、ピンヒールに、パンプスに細身の脚に憧れるスタイリッシュの姿に魅力を感じるのは当方だけでもアルマイト

 

 それに反して、明日、明後日をもしれぬ重篤患者が無意識にしてしまう点滴チューブの抜去や深夜の病院内の徘徊を防止するための身体拘束や体幹拘束も、あるとて真逆の世界かもしれない。最初はミトン(?)で手を覆われ、次にはベットの柵に腕から足を括りつけられ、そして最後は腰、胸全体をベット全体に拘束される。下半身は紙おむつ、口には猿轡(さるぐつわ)、目にはアイマスクとその様子はしばし拷問に近い姿なのだ。

 

 時に老患者のそれとて、親族はそうした患者を自宅に呼び戻そうとはしない、何故なら暴れるるなど不覚となった親族を看病できないからだ。その一方で病院、施設側も休日、深夜で看護師やケアスタッフが一人で、何十人もの患者や要介護者の面倒を懸命に看なくてはならない、美しさだけ、優しさだけでは語れない現実がここにあるのだ。

 

    患者の人間性、人権の尊重などと政治家は表向きは日々、この言い格好のよい響きのいいことを云っているが、病院に限らず介護や看護の現場はそんなことは許されない過酷な現場と現実がある。

 

     自分のことは自分でできるウチいいのだが、無性(精)になって自分自身さえ分らなくなった自分に、肉親はどう向き合うか?そこには心に寄り添うとか、子として、親族として面倒を看るのが当然だといった偽善的な風潮もある。でもその昔、清水由貴子が母親の看病疲れで青山墓地で親子共々に心中を謀ったことについては、世間はその多くを語らない。

 

    時に、いま突然頭をよぎったことがある。令和元年11月、しまった逃してしまった令和1年、11月1日午前11時11分11秒の記念すべき徳兵衛の生誕記念日を敢え無く取り逃してしまった。なので、次の11日(月)の同時刻を記念日としますので、みなさま方よろしく「お祝い」してチョーだいませ。

 

   それでも、無理だというなら、12月3日午前4時56分7秒でもよいです。それがダメなら年明け後の令和2年3月4日午前5時6分7秒にお祝い、メールでもお逢いして頂いても結構です。こんなこと追っかける暇人もこの世には結構多いかもしれないかなっ?