Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

東北は7県

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 みんなが皆、銀行に預金の払い戻しや記念硬貨の換金が殺到し始めたゼよ!!政府の小手先だけでの小細工のやりぁ方では、逆に不安を煽るだけわなだ。近頃は生活防衛のため記念切手や宝石類の処分も進んでいるらしい。そりゃそうだわな「カネで命は買えないもんな」、それにあの世には金も何も持っていけないモンだミンだな・・。

 

    ところで、県境を越えての東北6県と出禁を共同宣言した越後不思議なんだモシ。例えば、山梨県なんぞは天気予報でも関東地方に入ったり、中部地方にも入ったりもする。一般的には都合よく甲信越地区に区割りされ甲州、信州に越後と云われる。時には関東静甲とか云って、群馬、山梨、静岡県が一括りにされることもある。それほど山梨は中途半端な存在だが、それ故使い勝手がいいとも評価される。

 

   その証左に「静甲いすゞ」なる会社もあったり、その昔の甲子園高校野球も一県一校の代表ではなかった頃から、関東静代表とも云われた時代もあった。この大会を勝ち抜かねば甲子園など夢のまた夢。甲州の山ザルにははるかに遠い世界の話だった。

 

    さて、新潟と東北が何故にも近いのか!それは歴史にある。安土桃山時代阿賀野川以北の武将、新発田重家が新潟津を占拠。上杉景勝との抗争の末、新発田一族が東北に流されたのが始まったのがその元因。やがて、上杉氏は新潟を制することができ、景勝によって越後が統一されたのだ。

 

    ただ、その景勝は豊臣秀吉の命で上杉一族は会津への国替となり、家臣とともに越後を去った。その後、大名の交代が度々行われ、どっち憑かずの新潟は、ここまでご都合によって新発田も、長岡も、村上も、東北にもなってしまう。さらに万峰号の出入りを見てもお分かりのとおり、朝鮮半島の出先はおろか中国大陸の出張所の一つになってしもうた。

 

    だから、東北地方のお仲間に入ったり、甲信越にもなったりもする。越中、越後に富山のあんぽんたんとも皮肉られる。叩かれ上手の山梨どころか新潟も結構ヒドイもんだな。

 

   ステータス、自力、地力、主張に新潟県知事の記者会見のコメントも二転、三転。こんな様子が極めて危ういと思う。もし違うというのであれば貴見を伺いたい。その背景は、この国を奴らに任せたことが悲劇を増幅させている。