本日は、後藤(510)さんの記念日。全国の後藤さんおめでとうございます。
さて、唯我独尊、自分の人生は自分で決めると思っていたが、トンだ勘違いに今更ながら気づかされた。自分で決めているとすれば心も浄化され、自身も納得する。でも、よく考えると、「親」、「教師」、「上司」、「同僚」も含めて何一つ自分で決めたことはない。
もっと云うと、「進学先」、「就職先」も一見、自分で選択してるようにもみえるが、本人が希望していても、不合格や不採用は日常茶飯事。結局、この世は自分で選択している錯覚に陥っていて無駄で遠回りだけをして落ち着くところに落ち着かされ今があるようにみえる。
仲間、友達、結婚相手すらそんな仕組みの中で選択してるようにも思えるが、実は偶然の産物の連続なのかも知れない。産まれた子供は親を選んで産まれて来たのでもなく、職場の上司やサークルの先輩も選んだ訳でもない。たま、たまなのである。そう思うと勝手に理屈や運命といった都合の良い言葉を使って、自身が自分を口説いているのかも知れない。
明日、起こることは誰も分らないし、自分自身でも分らない。事故、ケガ、事件に巻き込まれ命を落とすかも知れない。そう思って生きていると肩の力が抜けて気楽に生きれる。日々の出来事に思い悩む人は、真摯に現実に向かっている人で実直で命が若いのかもしれない。
この世で自分自身が選択してるような錯覚は、実は不自由な世界だとも思う。明日は、明日で「勝手にシンドバット」が本質なのだ。
(今日のおまけ)
高齢者のオートマ車の事故が多い。高齢者は免許取得時はマニュアルのコラムシフト。坂道発進ではクラッチを滑らせながら坂道を下らないように気を遣った。特に教習所のコースは意地悪で坂の上に踏切のある設定。これには苦労させられたが、今やペダルにクラッチはなくアクセルとブレーキの二つだけ。
慌てた高齢者はなんでもカンでもペダルを踏んでしまうものだからブレーキとアクセルを踏み違え、何処かしこに突っ込んで大事故になる。弱点は一番右のアクセルペダル。徳兵衛は常にブレーキに足を置いているものだから踏み違いはないものの車は一向に走らない。でも、ドライブで同乗した「練馬大根」に「踏み違い」を指摘され「ヒヤッ!!」としたこともたことなど、今は遠い昔。記憶すらない。