Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

老人の証明

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    ジョー山中の「ママー、ドユウーリメンバー(^^♪」で始まるのが「人間の証明」。薬師丸ひろ子の「お父さん、怖いよ。何か来るよ。大勢でお父さんを殺しに来るよ!」の台詞で有名なのが「野生の証明」。いずれも森村誠一の原作で角川書店が映画化した。

 

    さて、加齢が進むと、緩くなるところと乾くところがあることは先日ご紹介した通り。今日はそれに加えて「老人の証明」を続編としてご案内したい。その前に、今朝散歩の途中で同年輩のサブザックを背負った登山姿の女性に声を掛けた「この時間でしたら、高尾山か奥多摩ですか?」、「いえ、これから笠ヶ岳から槍経由で奥穂に参ります」だと。こんな軽装でお気軽にと訝ると「ええ、小屋泊まりですから」と、こんなものかと当方の登山スタイルとは全く違うことに大きなギャップを感じた。

 

   今から丁度50年前、米国のアームストロング船長が人類初の月面に着陸したラジオの実況中継を聞いた時、当方は南アルプス間ノ岳で荒天の中でポールを必死で支えながらでテントが飛ばされないように天泊をしていた。それに比べれば、なんとお気軽にお手軽にと、こうしたことが多くの山岳事故を誘発するのだと思った次第。

 

   さて、話を元に戻そう。これは当方自身にも当てはまることだが、加齢が進むといろいろな変化が起きてくる。しかも、前期高齢者と75歳過ぎの後期高齢者とではその特徴が明らかに違う。大凡、お年寄りになるとお話は「クドイからみ」から始まり、「懐古」、「教訓」に最後は「お説教」で締めるのが相場だ。

 

    でも、こうしたことがひと通り過ぎると、言葉少なくなりお年寄りにとって周囲の景色は、北海道の雪原を走るようなSLの姿のように無彩色な光景にしか映らない。当方とて同じで、今は遠い昔のことしか思い出せず、蚊帳の麻の匂いの記憶とヘチマの棚の下で浴びた行水の木樽の香りしか思い浮かばない。それになぜか北風に唸る電線の音に、パタパタとトタン板がめくれる音が耳から離れない。

 

    そう云いつつも、現実に戻ると買い物をした後のレシートの割引商品の値引きが気になり、万歩計の歩数がヤケに気にかかる。それに日常のルーテインが一つでも崩れたり、抜け落ちたり、自動車事故など予定外のことが起きたものなら、簡単に体調を崩してしまう。「たかが・・」ではあるが、それほど、高齢者にとって規則正しい、いつも通りの日常は健康維持のためにも大事なことなのだ。

 

    亡くなったオヤジが自販機に千円札を入れて愛飲の缶コーヒーを買ったがつり銭が出てこなかった。そんな些細な非日常など、どうでも良いことだと思った。が、当人はそのことは一大事で猛烈に腹を立て体調を崩し寝込んでしまったことを思い出す。歳をとって行き過ぎた老人とは、そんな単純な生き物かも知れない。

 

   そう考えてみると、どうやら一般的にお年寄りとは日常生活に成果や結果に出ない割に、妙にプライドが高く、変化に対して頑(カタクナ)だ。そのくせ地域や周囲との人間関係が希薄で、外部やコミュニティ活動も面倒臭がって積極的に参加しない。

 

   さらに、何事にも屁理屈をつけてはマイナス思考の連続。これこそ当方とて同じ「老いの病」の証明かも知れない。