Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

同じ穴の矛盾

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 今日から8月、やっとオラの命も、8か月目に語呂よくパッパと突入。あ~ありがたや、アリガタヤ!!

 

 「介助費は参院などが当面負担することで決定」、「参院は7月30日の議院運営委員会理事会で、『れいわ新選組』の重い身体障害がある2人の議員活動中の介助費について、参院などが当面負担すると決めた。」とのニュースが流れたのはつい最近のおはなし。見方によっては税金の無駄使いや、国会議員と云うだけでこれほどまでに擁護と地位と権威を与えられた。政治家は民意とはかけ離れた「オイシイ」限りの特権階層だ。だから、皆こぞって議員になりたがり、責任を取って自ら議員を辞めるなどとの発想なぞ微塵もない。

 

   さて、介護認定制度、みなさんもよくご存じだろう。介護度によって公的サービスを享受できる内容が異なる。このサービスを受けるには医師の診断も含め行政の厳格な認定がある。それも介護度はⅠ~Ⅴ度。いったん認定を受ければ逆戻りすることはない。

 

    つまり、どんなにボケを装っても認定を受けられなければ行政・介護サービスは受けられない。部屋の掃除に始まり食事の世話まで、介護度に応じて受けられるサービスは雲泥の差だ。でも、そのサービスはご存知のとおり、時間と規格サービスの何ものでもない。

 

 時間になるとサービスが入り、マニュアル通りのお世話をし、時間が来るとさっと荷物をまとめて次の介護現場に向かう。これを仕切るのがケアマネージャーだが、これとてお互いのオシゴト。各家庭の個別事情を慮るわけでもなく、言葉だけは優しくケアしているように聞こえるが、振り返れば事務的で合理的だ。そして袖の下を渡しては、主治医の介護認定診断書に手心を加えてもらう。それは、当方も実体験としてあるから言えることだ。

 

 こんな実態は都心も地方とて同じ。世話をする側も、される側も、それに行政も、これで「オシゴト」をしている関係者にとっても、最終的に介護や擁護の受益をうける者にシワがよることは誰もが知っている。だがそれを声高に誰も言わない。何故なら制度発足時から野党の発議に与党も合意したからだ。つまり、相乗りの形ばかりの社会貢献制度だからこの現実を誰も非難しない。結果、国民は死ぬまで介護保険料を支払うことにもなった。

 

 いうまでもなく、この制度は、対象となる介護者とそれをケアする社会福祉制度。当然、個別事情や感情にサービスや行政が介入する必要もなく、そんなことをしたら制度として成り立たなくなるのだ。重ねて云うが実の親を送るまでこんな経験を何度も経験した。制度の限界と現実との矛盾を感じつつ両親は亡くなった。もし、本気でこの制度を運用したらこの制度は確実に破綻する。

 

   さて、この障害や要介護の必要がある、先の参議院選挙『れいわ新選組』の特別枠で当選した舩後靖彦と木村英子氏。まさにこの制度矛盾がぶつかった。国会に「登院できない」と訴えたが、制度上は、重い障害がある人の生活をサポートする「重度訪問介護」のサービスを受けられる。だが、この規則では働き始めると通勤や仕事中にこのサービスを受けることは出来ない。制度上は自立、自活認定から制度の恩恵を受けられないのだ。

 

 都合よく言えば、「制度上は、介助を受けながら働くことができない」ということが前提になる。だが、意思疎通もままならぬ重篤な障害者を国会に送り、マイノリテイの意思や意見を尊重するために、国税や公費を投じての制度変更、バリアフリー、施設変更や数々の考慮や配慮。一票の重みと云えばそれまでだが、ここまで金を投じないと動かぬ政治とは皮肉な結果だ。

 

   諄いようだが、それを訴える側も、また恩恵を受ける側もその社会的コストは全て国民の税金なのだ。社会福祉、医療、介護や年金まで、どれをとっても、「これが正解だ!」と少しも思えない。

 

 「言葉の響き」だけに選挙民は酔い過ぎではないのか。N国の無節操極まりない数合わせも含め「劇場型選挙」はこれからも続くのか?いつからか惰民となったわが国民。これでは「謝罪」と「賠償」ばかりを繰り返して訴える隣国の愚民と聊かも変わらない。