これは人間あっと産まれてうんとしてこにょから去ることをいうらしい。人の一生は人生ともいうが、どの親の下に産まれて、どう育てられ教育を受けるか?はたまた親離れをした後の人生をどう歩むかは何一つとして決まっていない。
そうした意味では、子は親を選べず、家庭も環境も兄弟すら選べない。反面、親とて子は選べない。その先は神のいたずらとしか思えない。幼くして重篤な病気に罹る子。生まれながらにして障害を持って産まれてたきた子供。
園児や小学生、中高学生でも良いが事故や事件に巻き込まれ突然他界してしまう子もいれば、親に手を掛けられてなくなる子、一家心中、海辺や川遊びで溺死してしまう子、山登りで滑落、雪崩に遭って命を落とす子。
嫁入り前、結婚して子供を産んだばかりなのに自身がガンに罹り病死する母親。交通事故に巻き込まれ突然召されてしまう家族。
この分岐点は、誰がどう決めて何故そうなるのかが説明が行かない。
誰にも知らされず神の悪行のもとに次々と峻別されていく。誰彼となく戦争や紛争、飢餓や人身売買、薬物中毒でその後の人生を大きく狂わされていく人々の現実。
そう考えると、そこそこのお歳で自宅で穏やかに息を引き取る人は稀かもしれない。
菩提寺の法主は「あれも、これもその人が持って産まれてきたご寿命」とその職業に照らして諭すが、運命の悪戯だと到底そんな言葉では親族は納得はいかない。
そこそこ生きてきて、この歳まで生ながえることが本当の幸せなのか?かといって介護や看護で他人の手を煩わすことも気が引ける。
順送りで「お歳になったら・・・」と願う方々も多いだろうが現実は悲劇、悲惨の連続で多くの家族、子供達や突如としてこの世を去る。
一体だれが、どこでそうしたことを決めているのか?悶々とした朝を迎える。運命の一言では済まされない!!