60才過ぎまでサンスポ・千葉マリンマラソン(ハ―フ)に毎年海浜幕張駅会場まで徒歩で赴き参加していた。当時のPBタイムは1時間20分台。もうこんな時間では到底走破できないな。
コースは、ロッテの本拠地千葉マリンスタジアムをスタートし稲毛海岸を右手に強い海風に足(肢体)を取られながらポートタワーを周回し再びスタジアムをゴールとする往復コースだ。
よく先輩のT氏ともご一緒させていただいたが、ある時当方より早くゴールイン。スタジアムのベンチで余裕カマシの表情で「徳ちゃん、まだまだだなあ」とのお説教。そんな筈はない。1時間10分台でハーフを走ったことになえる。後で分かったことだが海浜公園でショートカットならぬ折り返してきたという。距離として10キロにも満たない。そのあとの帰路、駅前の居酒屋でサンザン呑んだこともいい思い出だ。
ときに、稲毛区磯辺在住の当時役員だったU氏(故人)も奥方と連れ添ってよく沿道からご夫婦ともども大きな声援で応援してくれたことを思い出す。そんな夢のような想いを何度もさせていただいた。その後U氏と山登りや退任後に東京駅界隈で盃を傾けカラオケ(十八番は娘さんがファンだというチャゲアス)にも繁く足を運びご一緒させていただいた。どれもこれもまるで昨日のことのような夢の想いで出だ。
そんな御大も65歳過ぎに前立腺がんに罹り67歳の若さでこの世を去った。ご自宅にも何度かお邪魔し御大の身を案じた。進行が早くモルヒネも効かなく相当つらい闘病生活だった。そして業界関係者だけで300人以上が参列したU氏の通夜式と告別式を僭越ながら仕切らして頂き弔辞も一読させていただいた。
辛い思い出と、懐かしい思い出は交錯する。よく辛いことは心に残るというが、どうやらそれは間違いで印象が強い思い出が残る。
昨日、山梨の牧丘町から「4年ぶりに『巨峰の丘マラソン大会』を開催するので、是非にご参加を・・」との招待状が寄せられた。そういえば術前の5年前が最後の参加だった。鈍った肉体に「酷肢夢想(国士無双)」で
5キロにでも参加してみるか・・・???と。