別名「干し柿」とか「吊るし柿」ともいう。正月明けにお世話になっている山梨の峡東地区の知り合いの果樹園農家から「枯露柿」が贈られてきた。こうして当方を気にかけてくれるのは本当に有難い。とくにこの柿は手間暇がかかるうえ、あまり知られてはいないが全国的にみても生産地は山梨と群馬県下などに限られている希少な果物だ。
この柿、実は実の形のいい渋柿だ。甘柿は一切使わない。稲作や果樹農家が収穫を終えた農閑期の晩秋、農家の縁側、家族総出で捥いだ柿の皮をひたすら剥く。その数一日で千個近くにもなる。実が熟すと干し柿にならないので赤味のある頃あいのいい柿が狙いだ。剥いた柿の皮も柿の葉と一緒に干して煎じて飲むと、体にいい「柿の葉茶」にもなる。
それを「吊るシンボ」といって、麦わらの縄で暖簾のように軒先に天日干しにする。ここからが甘味とコクが増す秘訣。しばらくして軒先に干したこの柿暖簾の水分が抜けきらないうちに「硫黄」による燻蒸し、また天日に干す。すると、その柿は一段と甘みを増し年末ごろには真っ白く粉を吹いて甘味が一段と増す。ほとんどは自家用だが、中にはそれを1つ1つ包装して京浜地区に出荷される柿もある。中には銀座の千疋屋の店頭に並ぶ「高級枯露柿」なぞは、一函12個入りで2万円近くもする。
当方、幼少の砌、仲秋の十五夜や十三夜の晩には、竹の棒の先に釘を巻き付けて民家の縁側に飾ってあるお飾りの月見団子やふかしたサツマイモをよく拝借したものだ。その頃は、チクロなどの人口甘味料や榎健(エノケン)が宣伝していた「渡辺のジュースの素」を口の周りを真っ赤く染めながら、それを真水のように薄めながらよく飲んだものだ。
だからこそ、本物の果糖や根菜類の自然本来の甘味と人口甘味料の甘味の違いがよく分かる。
渋柿然り、貧しい時代は、人々は知恵を出し一見食べられそうでない食べ物も加工して食べられるようにした。貧しさが故に、そこに工夫と生きるための智慧が産まれる。ゴボウ鼻を垂らしてセーター袖口を鼻汁でバリバリにして田圃の畦道を遊び歩いたあの頃。甘柿だと思って口にできた柿は決まって「渋柿」だった。
この「枯露柿」を口にするとあの頃の時代が蘇る。そして今となっては、わが家の家族も子供も孫もこの干し柿を口にしようとしない。おそらく、渋柿で作った枯露柿ほど、後々こんなに甘味がでることを知らないからだろう。人間も同じで若い頃煮ても焼いても食えなかった渋柿野郎が齢を重ねるにつれて甘味が増すのと同じだ。