Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

酷いこと酷な!

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   看護ランクの高い病院や病棟ほど、診療報酬上の「平均在院日数」の規定が厳しい。

  その結果、入院まもない時期の患者に比べ、31日目以降の在院患者は、病院にとって、1日あたりの収入が大きく減ることになる。つまり、看護師1人当たりの受け持ち患者数によって病院運営上の損益分岐点が大きく変わってくる。

 

  また、急性期の病状で入院してひと通りの治療が終わる、または目途が立てば長期療養型の病院か他の診療科を受診するように患者は追い立てられる。病院や施設の多い都心ならともかく圧倒的に医療機関が少ない地方では深刻な状況だ。

 

    こうした背景には、国の政策に基づき厚生労働省が医療費の嵩む入院の期間をできるだけ短くして、病院ごとに機能(役割)を分けるべく、診療点数を決めていることがある。したがって、病床数に比べ患者数が圧倒的に少ない医療施設が多くなるといった皮肉な現実を生んでいる。

 

  行き場に困った患者は病院を転々とするか、病の体に鞭打ってやむを得ず入院を諦め通院に切り替える。これは極めて深刻な問題だ。なぜなら、入院期間と治療のミスマッチが起き病院を変えるごとに治療や病名さえ変わることが起きうるからだ。そのうえ転院を繰り返せば病院のレベルはどんどん低下するのは誰だって分る。

 

  そうなると患者側には「だったらここでこんな治療を受けなければよかった」などの後悔だけが残ってしまう。

 

(今日のおまけ)

 「患者に寄り添う医療」、「患者の立場に立った医療」、「患者本位の医療」等を標榜する病院・施設も多いが、理想と現実のギャップに悩まされ翻弄されるのは常に弱者である患者側だ。そのくせ医療過誤に備えインフォームド・コンセントだけはきっちり、丁寧に患者の意思だけは確認する。

 

  N御大も含め、今ご入院の皆さま、大病だから入院しているのであって、花粉症で入院しているのではないのでハッキリ、怒って良いです!!こんなストレスを溜めたらそれこそ体に障り治る病気も治らない。

なんか変じゃねぇ~

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    新聞も、テレビも、雑誌もマスコミとかメディアと言われる類は、一向に信頼がおけない。

 

    片や「報道の自由」とか叫ぶくせに偏向報道が多すぎて、見るモノ、聴くモノがとにかく胡散臭くて仕方がない。事実を客観的に冷静に報道するのがメディアの本来の使命ではないのか?

 

    今回、森友稟議改ざん事件も伊調選手側から出た日本レスリング協会強化栄本部長のパワハラ疑惑も、なぜヒラマサ冬季五輪が終わったこのタイミングに報道されるのか。絶妙のタイミングだ。

 

    伊調選手へのパワハラ問題に敢えてコメントすれば、すでに東京五輪に携わる関係者は、2020トンキン・オリンピック開催に向けて動いているのは事実だし、この時期からすでに代表選考が始まったとみてもいい。それに絡んでのこととも考えられるが、この大会を成功裡に納めようと今のうちに膿を出させようと内部告発があったのかも知れない。この件について浜口京子が口を噤むものならまだしも、吉田沙保里が一切コメントを出さないのも解せない。

 

    朝日新聞財務省森友学園への国有地払下げ稟議の改ざん暴露報道といい。誰かが事を大きくし、闇を暴くことによって、ほくそ笑む奴がいるようにも見える。あらゆる事件を社会問題化、政治問題化しようとしているのは一体誰なのか。森友の件では厚労省に始まり次は財務省に飛び火した。

 

    また日レス教会に関しては内閣府文化庁にまで及んでいる。まさか単なる省庁間の出来レースということもあるまいが・・・・。真相はいまだ闇の中だ。皆さんと一緒に今後の展開をしっかりと見届けたい。

 

(今日のおまけ)

    それにしても、相撲協会と言い、今回の日本レスリング協会といい、いずれも事件のバックに公益法人の存在がある。

 

   何故、公益法人がいるのか?それは平成20年の公益法人制度が改革されるまで、明治時代からなんと120年もの長い間続いてきた制度でそれまで2万4千もの公益法人があったそうだ(現在でも1万5千法人、減った9千の法人のほとんどが幽霊法人だった)。

 

    制度改革までこの公益法人は、国の補助は受けながら公務員の天下りの温床との批判も受けてきた。どうもこの公益性が法人を構成する役員や構成員には都合いい隠れ蓑になっていて、今でも「公益」という看板の陰で「オイシイ汁」を吸っている者がいそうだ。

 

    公益法人に限らず、宗教法人、学校法人、医療法人等々、悪は何処にでも蔓延(ハビコ)る。

立ち呑屋なう

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    駅前や下町に良く見られる立ち呑み屋、ソコソコのツマミが注文出来て、店員が妙に客に絡まない。居心地のいい空間だ。それに同僚や仲間と連れだって行く必要もない。   店側からすれば、客単価が低い分狭いスペースでも客数が伸びるから採算が合う。それに立ち呑みだから、客も長居はせず、ソコソコの時間で退散する。

 

   バーカウンターに備え付けの椅子は高くて足がダラリと伸びる。足が伸びると血液がうっ血しやすく長い間座っていることが辛くなる。その結果、自然と客回転が速くなる、そうした発想と同じだ。反対に客単価が高い高級クラブなどは、長居をしても良いのでソファーにもたれながらゆるりと酌婦と話ができる。

 

    さて、立ち呑み屋で独り呑みが好きの方は、独りの時間を大いに楽しんでいる。清算すればすぐに立ち去れる。このすぐに立ち去れるというところが、酒仲間と一緒に呑んでいる時との大きな違いだ。隣に他人がいても、何かに恰好つけて話もできるし、話の中身によっては、笑いもしたり、話が弾んだりもして、楽しいひと時が過ごせる。また、店主や店員とポツリポツリと交わす会話も楽しかったりもする。

 

    お仲間やお相手いると、そうはいかず、席を立つタイミングや、呑み疲れても、突然「じゃ、アタシ帰るわ、疲れたから・・・」とはなかなかいかない。ここに独りで行く立ち呑み屋の魅力がある。だから、今日も誘蛾灯に集まる虫のように、アタシも立ち呑み屋に足を運ぶ。

 

(今日のおまけ)

    当方、立ち呑み客の心理を思うに、自分自身が独りで居ることに限界を感じていてどこにも居場所がない淋しがり屋の方かと? 誰かに仕事上の悩みを打ち明けたいとか、恋愛で辛い思いをした話を聞いて貰いたいのかも知れない。

 

    反対に気分転換をしたくなって、そこに行けば、一緒に呑んでくれる顔見知りの客に偶然会えることを期待していることもあるだろう。

 

    お客の事情は人それぞれ。中には事情があって、この徳兵衛のように手を差し伸べられることがありがた迷惑と感じ、それが嫌で立ち呑屋に独り足を運ぶ客もいる。

節句に絶句

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    雛人形を飾る時期は、節分の日に豆まきをして厄を払った翌日に、春を迎えて雛人形を飾るのが普通。地元山梨では、ひな祭りは1か月遅れの4月3日が当日となる。東京のお盆が7月に行われるのに対して地方は旧暦でカウント、旧盆に1月遅れや1月遅れの10日遅れ(40日遅れ)の地域もあるのと同じだ。

 

 さて、この雛人形、慣わしとしては「嫁いだ娘」に娘が生まれると「嫁いだ娘」の実家がその娘に雛人形を贈る。この雛人形は「花嫁道具」の一つで、娘らに災いが降りかからぬよう人形に厄を移してその娘の「身代わり」とするとも言われている。

 

 ところで、雛人形の片付けが厄介。通常、片付けは、ひな祭りの翌日に行う場合が多いと聞く。遅くてもひな祭りから2週間が目安だそうで、人形は湿気を嫌うため、出来れば天気の良いよく晴れた日に片付けるのが良いらしい。

 

    で、ここからが都市伝説。よく聞くのは、“片づけが遅れると女の子の婚期も遅れる”という言い伝え。これは、雛人形を早く出す=早く嫁に出す、早く片付ける=早く嫁に行く、と例えられているためで、片付けが1日遅れるごとに婚期は1年遅れる、季節の節目行事が終わっても、ずっと出しっぱなしにしていることへの戒めという意味もある。

 

 一昨年、産まれた娘の子の初節句に「顔が命の・・吉徳♪」でおなじみの吉徳大光の雛人形を贈ったが、その店の販売員によると、早く片付けるのは子供への「躾け」の一環であって、例えばオモチャを出して遊び終わったら「オカタツケ、オカタツケ」、「整理・整頓」が現代風の解釈だそうだ。

 

  つまり、どちらの解釈でも「役目が終わったら早めに仕舞いましょう」ということ。水道の水もそうですが、何事も出しっぱなし、やりっぱなしは駄目なのです。役割を終えたら早くしまうことが基本ですね。そんな恰好でいつまでもいると風邪ひきますよ。

 

(今日のおまけ)

    ひな段は、日焼けによる変色を避け、防虫に適するため風通しがよく直射日光のあたらない場所に飾る。そして、雛人形はとてもデリケートなので、素手だとゴミや傷がつきやすいから必ず手袋はつけて取り扱う必要がある。

 

    人間生活にも似て、家の中で最も室内環境の良い場所を選び、カーテンや換気などを利用し、雛人形はきれいな状態を保つことも大切だ。

 

   雛人形には七段飾り、五段飾り、三段飾り、平飾りなどの種類があるが、娘に贈った平飾りのお値段は目ん玉が飛び出るほどのお値段。ピンきりだが七段飾りと一緒の価格でウン十万円。

 

     孫が増えるはいいが、端午の節句が終わった僕チン。来年小学校への入学を控えて孫のボクチンにボツボツ「ランドセル」を贈る準備をせねば・・・・・と・・・・、「エッ!!今、ランドセルってこんなにすんの????」

ネタ切れか?

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  とうとうネタが切れてきた。新聞、テレビや週刊誌でもいいが、記事・ネタやニュースがなければこうしたメデイアは、全く迫力のないものになってしまう。「東スポ」や「デイリー」のようにウソのような真のようなネタは、「東スポの記事によると・・・」と続くと疑心だが、ついつい記事を読んでしまう。それに引き替え当方のブログは今一つ精彩を欠く。

 

 また、スポーツ紙でいえばお抱えのプロ野球球団をバックに「報知(巨人)」、「中日スポーツ(中日)」、「デイリー(阪神)」、「産経(アトムズ・ヤクルト)」ということになる。四大紙に限らず、こうした新聞社は、各地の支局、支社のネットワークや番記者と呼ばれる、専任担当記者がいるから取材(ネタ)には事欠かない。

 

 そこへ行くと、週刊誌は網羅的な取材をするものだから、記事に深度があり、現実を疑うようなセンセーショナルなネタも多い。特に「文春砲」と呼ばれる「週刊文春」や「週刊新潮」は群を抜いた存在だ。タブロイド紙でいえば「日刊ゲンダイ」と「夕刊フジ」のようなもの。

 

 恋愛、不倫、離婚にはじまり政治、汚職、事件など、時としてはテレビや新聞社がこうした週刊誌ネタをもとに後追い記事を書き、それを読んだ与野党国会議員予算委員会等で追及し、時には議員や官僚が辞職に追い込まれるケースもある。

 

 テレビ、ラジオがネタを採りあげ、それが政治スキャンダルまでに発展するような大事件の元を辿れば、週刊誌や地検の特捜が発信源となっているケースが多い。それにしても、今回の財務局の内部稟議が改ざんや書き直しがあったと朝日新聞がすっぱ抜いたが、公文書が偽造、変造されたとすればこれは一大事件。

 

 朝日新聞財務省、首相、財務大臣など、誰かが辞めるか組織解体まで行かなければこの一件、どうやら落ち着きそうもない。まさか「アカヒ新聞得意」のガセネタではアルマーニ

 

(今日のおまけ)

    新聞紙は地域や取材場所、印刷工場によっても配達時間や掲載記事が全く異なる。日経新聞でいえば朝の配達時間ギリギリに配布される「第14版」までもある。

 

    また、夕方のタブロイド紙もA版からC版まであり、直近のC版とA版では記事の内容が雲泥の差だ。また、各社の記事に限らず、「今日の運勢も」TV局やスポーツ紙によっても全く違う。「今日は最低の運勢」という局もあれば片や「最高の運勢」という放送番組もある。

 

    新聞を読みながら良い運勢が出るまでチャンネルを回し続ける。だから当方の朝は、人並み以上に忙しい。