Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

羨望の的(まと)

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  私、生れも育ちも葛飾、柴又、帝釈天の産湯につかり、姓は甲州屋、名は徳兵衛・・・。

 

 さて、人生の転機は至る所にあって、おおよそがリタイア後も現役時代の経験を活かして、 例えば、教員だった人は、退職後に公的機関での教育相談などに応じる。

 

 現役時代を第一の人生とすれば、退職後は第二の人生ということになろう。だが、ここから先の第三の人生の歩み方が重要だ。昔、同僚だった自衛隊上りの「新ちゃん」は、素朴で従順な男だったが、転勤続きで家族との団らんを過ごす時間も少なく、札幌支店を最後に60歳を迎えてあっさりと会社を辞めた。

 

 組織にへばりつくことも厭だったのだろうが、その潔さには感心させられる。その彼は、雪深い金沢で家族と一緒に過ごしながら、現在、地元の薬品会社のプロパー社員として活躍している。自衛隊隊員時代を第一の人生とすれば、会社勤めは第二の人生。そして今プロパーとして第三の人生を歩んでいる。羨ましい限りだ。

 

 そこへいくと、当方なぞは、病気にかこつけて毎日惰眠を貪っている。退職後は好きな山歩き、マラソンやサイクリングに興じようと思ってみたが、本業がないと余暇も楽しくない。これは、何とかせねばと高齢者の社会参加を求める組織に求職希望を出したが折り合わず仕方なく断念。

 

 ここまで来ると、もはやこれまで。思い切って求職先を変えようと思っている。そこで、隣町のコンビニエンスストアの店員にでもなろうかと・・・・「いらっしゃいませ」にはじまりレジ打ちから、品出しや配送品の受付まで全部を独りで熟さなければならない。果たしてそんなことが出来るのだろうかと思いつつ、余生もさほどないのに、ただただ時間だけが通り過ぎていく。

 

 異次元の世界に飛び込むには、それなりの勇気と考え方を変えなければその世界には飛び込めない。60歳の定年を迎えてあっさりと現役をリタイアした「新ちゃん」が今でも羨望の的だ。

 

(今日のおまけ)

 先に終えたヒラマサ五輪ピック。ことさら日本選手の頑張りに勇気や感動を覚えた。そんな日本人選手が羨望の的なのか不思議なことを感じた。

 

 それは、閉会式の出来事。北は半島統一旗を持って選手団が入場。南は中国易学に由来した大極旗の小旗を持って入場するも、米国を含め各国の選手団は小旗を振っているのに日本選手団だけが日の丸の小旗を持たされていない。

 

 ショートトラック予選にみる北による日本人選手への妨害行為といい、何ゆえ未だ日本を貶め叩くのか。翻れば、それは半島民族にとって、日本人が羨望の的なのかも知れない。

不作為の作為

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  少々難しい言葉だが、「不作為」=しなこと、「作為」=することだが、法律上の「不作為」は、「明確な意思や悪意を以てしないこと」をいう。だから、ただ何となくやらなかったでは「不作為」とはいわない。それでは、タイトルの不作為の作為の意味は「意識的にやらないこと/する」ということになり、犯罪の構成要件にもなり得る。

 

 ここからが本題、人は何かしていれば事が前に進むと概念的に思っているだけで、「何もしないこと」に堪えらから、あれこれと理由をつけてやろうとすると説くのは、先日ご紹介した医者の逆説を上梓した里見清一医師の弁。

 

    氏は、その書の中で「待っていれば事態は悪い方に向かう」ことが明らかな場合は、「待つ」ということは「手をこまねいて見ていること」に等しいが、さしあたり何かをしなくても出てくる結果が同じであれば、わざわざ「何か」をする必要はないという。

 

   彼は医者の立場から、「待っていれば悪い方に向かう」のが明らかな場合であっても、それでも「待っている方が良い」こともあると続ける。それは人間はどっちつかずの宙ぶらりんの状態に長く耐えることは難しいらしいと分析している。

 

    つまり、病気になって「何もしない」ことに人は耐え難く、治療に「賭けたい」気持ちになって、医者に、「待っていて、良くなる見込みがあるのか」と説かれても、それでも患者は「大博に打って出たいと」いう。ならばと、治療を一段進めた結果、治療後の生活の質(QOL)や日常生活活動度(ADL)が低下するケースも多いという。挙句に患者は「こんなはずじゃなかった」と治療したこと自体を悔いる。

 

    いまや、治療や術前の医者と患者間のインフォームドコンセントは当たり前の時代。最終的には患者本人の意思で治療を進めなくてはならない。だからこそ、医師が治療にあたって「不作為の作為」があったかどうかを立件するのは極めて難しい。 治療や手術に限らず最後に決断するのは患者自身でしかない。

 

(今日のおまけ)

 あれはこの病院、この病気はここの病院と渡り鳥のようにあちらこちらの病院を掛け持ちする患者さんも多いが、同じ病気であっても、医師の見立てによって治療方針が変わることも良くある。

 

 ただ、急患で病院に担ぎ込まれたにせよ、自分で選んだ病院にせよ、いくら医療技術が高度化しようと、その患者にとって最良で最善の治療なぞ無いよう気がしてならない。医者は専門的な知見を以てその病気の治療にあたっているだけで、専門外となる患者のメンタルケアや精神状態などを慮ってはくれない。

 

 それゆえ、周囲が患者の心に寄り添わなければ、治る病気も治らない。

 

     皮肉にも、斯いう当方も同じ病院での受診科がまた一つ増えた。

お年寄りを大切に

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  先日、免許の期限が5年目を迎えにいってきた。5年も経つと法律や規制が強化されて、段々と車を運転したくないという気持ちに陥るから困ったもんだ。これっ、もしかして高齢者の自動車運転免許証の返納誘導?でも、5年前の免許証の顔写真と今回交付された写真では明らかに老け込んだ。顔の骨格は変わらないが極端に痩せた顔が自分でも痛々しい。

 

  さて、後期高齢者の75歳以上のドライバーの認知症対策が強化されたのは、2017年3月の改正道交法施行から同年末までの9か月間で、運転免許更新時などの検査で4万人強の高齢者が医師の診断が必要な「認知症の恐れ」と判定された。そしてそのうち14百人が実際に診断後に免許の取り消しや停止となった。

 

    公共交通網が発達している都市部なら車や運転免許証を手放すのも苦にならないが、地方では車は高齢者にとって死活問題。講習でこの認知症テストの説明があったのでご紹介しておこう。

 

    まず、今日の年月日、曜日に本人の生年月日や干支が聞かれる。次にカードが5~7枚机に置かれて1枚ずつ、又は全部が開かれる。動物やハサミや机といった道具の絵が描かれそれを一旦伏せられた後に、逆から何が描かれていたのかを言い当てるテストだ。子供の頃にやった神経衰弱と同じやり方だ。それに目をつむっての片足立ちなどの運動神経も試される。

 

    幸い、当方、前期高齢者になったばかりだから今回は、5年更新にありつけたが、受講だけでの更新はあと1回だけしかない。そう思うと、健康寿命が維持できるのは残り10年もない勘定になる。

 

   最近の当方、持病を持ち、ケガをしながら物覚えが悪くなって、健康寿命は縮むばかりだ。   先日も、知り合いとの会話の中で、ピーター・フォーク主演の「刑事コロンボ」が出てこない。「シャーロック・フォームズ」が浮かんだり、「古畑任三郎」や「ルパン3世」が出てくる始末。勿論「ウチノかみさんがねぇ・・・」の名台詞など全く浮かばない。出て来たのはルパンの「不二子ちゃ~ん」だけ。

 

    顔が浮かんで、名前が出てこない。番組は思い出せても番組名が思い出せない。同じ話を何回も繰り返す。今からこんなんなったら75歳以降の運転免許証の更新は無理かも知れない。

 

(今日のおまけ)

   当方悪運が強いのか5年間無事故無違反で優良運転手(ゴールド免許)が3回以上(15年以上)続いたが、忘れもしない平成26年10月26日、午前10時5分、外環自動車道高架下の一般道を南浦和から戸田方面を走行、甲府を急ぐ。   30キロ程度でノロノロ走行する前を行く女性ドライバー。スピードを上げ追い抜きざまにchiと舌うち。やにわに横から埼玉県警「止まれ!」の合図。甲府で父親が危篤だと伝えたがスピード違反(点数2)で結局「御用!」。

 

    過去5年間で交通違反3点以下1回なら一般講習対象者で5年更新が可。忘れもしない当日の午前11時2分親父は誰にも看取られることなく亡くなった。死に目には会えなかったが、その時、ICUに運ばれた遺体の足にはまだ温もりが残っていた。「憎き!埼玉県警!!」

車内トラブル

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    社内でのトラブルも良くあるが、次に多いのが車内トラブル。乗客同士が胸ぐらを掴んで大声で罵る通勤時間帯の混雑している車内。足を踏んだとか肩を推したとかのたわいもない理由で、次の駅で両者が降りてホームでも延々と口論を繰り返す光景。都会では日常茶飯事だ。

 

 珍しいところでは、先日東京メトロ・千代田線の国会議事堂前駅で専用車両に男性数人が乗車してトラブルとなり、電車が15分程度遅延した。以前から「女性専用車両」に反対する男性が、あえて女性専用車両に乗り込んでトラブルになるケースは起きている。

 

    地下鉄に限らず、「痴漢をはじめとする迷惑行為の抑止」などの理由で女性専用車両を導入しているが、必ずしも女性専用車は、女性の乗客ばかりではなく、小学生以下の子供や男女を問わず体が不自由な乗客とその介護者の方も乗車できる。

 

  女性専用車両のルールには法的強制力はないため、警察沙汰にはならないが、一見、親切心や安全対策としてこうしたルールが仇となって、性的、障害者の逆差別にならないかと心配している。

 

 そうしたなか、昨日徳兵衛、半蔵門線内で車内トラブルを目撃。原因は分らないが30歳過ぎの男性が、20歳代の女性の首を突然絞め、ドアが開いた瞬間、二人ともホームに倒れ込んだ。

 

 女性の必死の叫びに、周りの乗客もホームに降りて駅員を呼びに必死に走り回る。数人の駅員が慌てふためいて両者を取り囲む。ひと通りの事情や言い分を聴いたら両者を別々に場所に移動させて乗客の身元を確認する。このとき、目撃者を複数人確保しておく。

 

 暫くしたら駅長事務所や駅員事務所の別々の場所に移し、さらに詳しい事情を聴く。この時すでに、駅側から警察に通報されていて、ほどなく警察官が来る。この時点で男性は御用。いくら申し開きをしても無駄な抵抗。これに女性が被害届を出そうものなら「傷害事件」扱いとなる。

 

 時間が過ぎるのも忘れてこんな光景をまんじりともせず見ていた当方、おかげさまで電車を何本も乗り過ごしてしまった。呉々も皆さん方も社内、車内でもトラブルに巻き込まれないように・・。

 

(今日のおまけ)

  トラブルには必ず第三者(委員会)を交えること。車内トラブルになった時は、相手を駅員室まで引っ張って行き、駅員の前でトラブルの原因を証明することが鉄則。キレたり逆ギレした方がアウト。でなきゃ次回からその列車や車両に乗らないのが賢明だ。これが真のリスク回避

マルっと!「官民トリック」

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  「裁量労働制」どうやらこの制度導入の先行きが怪しくなってきた。何故、野党は厚労省が提出した「現行の労働時間より裁量労働制導入の方が、労働時間が短くなる」との政府答弁に怒り心頭だ。「データのねつ造、虚言だ!」と大騒ぎだ。でも、政府与党は何が何でもこの法案をさせたいようだ。

 

 現行の労働基準法をひっくり返してでも、なお法案成立に固執する。それは、当方のような素人がみても誰にでも判ることだ。残業時間が減るなぞ真っ赤なウソ。つまり裁量時間内だけの賃金で労働者に残業代を支払わない魂胆だ。

 

 お国は「働き方改革」とか「女性活躍推進時代」とか称して厚化粧の「美しいニッポン」を標榜しているようだが、今や労働分配率は低下に低下し、企業の内部留保は依然右肩上がりだ。残業を抑制させる一方で企業は賃上げに否定的な姿勢だから、労働者の実質賃金は一向に上がらない。だから消費が伸びる訳もなく物価も上がらない。

 

 その一方で、企業は生産性をさらに上げるためにブラック企業問題で遣い勝手の悪くなった派遣社員やアルバイトに見切りをつけた。結果、企業内託児所や保育所を作って女性の社会進出を促し、総体的に労働コストの高い男性正社員から女性社員の採用姿勢にシフトさせている。

 

 生活費や教育費は一定額かかるものだから、家計の苦しさは依然変わらない。出産、育児で一度現場を離れた家庭女性や主婦の呼び戻す策略だ。でも、それが限界に近づくと今度は再び男性正社員の労働コストの削減にかかろうとしている。つまり、企業サイドは一定の裁量時間制をとっても、それ以上の賃金を払わない企てだ。従来、残業をすればその対価が一応は支払われたものが、今後はそれをできるだけ支払わないようにして実質賃金を下げようとしている。それが「裁量労働制(タダ働き労働制)」。これでは野党も正社員が怒っても仕方あるまい!法人税減税にこの裁量労働制、企業にとっては願ったり叶ったりの法案だ。 社員のことや社員の家族(国民)を第一に!を標榜する企業や政府。

 

   一体この国は何処に向かおうとしているのか?大澤親分の「喝だ!!」が聞こえてくる。

 

(今日のおまけ)

 年金受給前に当方にも「ねんきん宅急便」が届いた。いくら掛け金を積んで、いくら受給されるかを示したものだ。夫婦二人だけの生活費は最低でも毎月20万円以上がかかる。積んだ掛け金を必要最低月額で割ると、年金ベースで受給開始の65歳から計算すると8年以上受給しないと元は取れないとの試算結果となった。

 

 したがって73歳まで夫婦が生きないと積んだ掛け金さえ戻らないことになる。平穏に生活しても損益分岐点は73歳、それまで長生きしないと「掛け損」だ。それまでに夫婦が事故や大病に罹れば、元が取れる損益分岐点は延伸することになる。おっかねえ現実だ!

 

 案の定、昨日深夜、首相自らが法案を撤回した。