Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

「向こう三軒両隣」など、今は昔。

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 今日の副題は「不愉快な隣人」。これだけ、地域やコミュニテイが崩れてくると、隣人はご挨拶もしない、とういうよりは皆さん、昔ながらの礼儀やお作法を知らないものだから、声を掛けても返事も答礼もないのも当然かも知れない。昔馴染み、幼馴染み、ご近所同士や同じ釜の飯のフレーズは今や全く否定、拒否らレている。

 

    とにかく、地域への流出入が多く、外国籍、異人や変人がある日突然隣家や階上や階下に巣食い始めることだってある。ムサコ(武蔵小杉)に限らず億ション・ハイソの隣家に移(異)住民が移り住むのはもはや日本の日常。「どなた?」、「だれえ?」は、日常茶飲み事になってしまった。住民間のトラブルでも、切れる、蔑む、暴言、暴力は至る所で起き、もはや歯止めが利かない事態にまで進んでいる。

 

   その昔、味噌、醤油や米を融しあったご近所付き合いはもはや存在せず、これから先にも復活もないだろう。そのくせ、ひとたび天災や事件、事故に遭うと地域の自治会、組、管理組合やお役所に対して、復旧はおろか責任や賠償を必要以上に求める。これこそ住民エゴそのものなのだ。

 

 今、国内でも不穏な世界がある。予測できない将来や未来に対して、「ここでこの俺たちが不幸に陥って生活が来る苦しいのは、あいつのせいだ。こいつのせいだ!」と、誰もが逃れられない現実に因縁や言いがかりをつけ始めている。守るべき、遵守すべき社会規範は薄らぎ、道徳どころか、マナーやエケチット、ご挨拶ひとつもできない。人の道を失って暴走する市民は大人に限らず、幼き子供たちにも伝播している。

 

 これが地域性なのか、教育のせいなのか、躾なのかよくわからない。例えば、喧嘩ひとつ取ってみても昔は喧嘩相手に致命傷を負わせるような「ケンカ」の流儀はなかった。でも、今や気に食わないといって短絡的な衝動で相手をナイフや包丁で殺めてしまう。小刀で鉛筆の芯を削り、手を滑らして指先を擦過し出血する痛みを、親も子も知らない。

 

 この歳になって、ようやく郷愁を誘う小中学時代が羨ましくも、懐かしく思うのは当方だけでもあるまい?これって歳のせいなのか、病気のせいなのかは分からない。

砂埃の舞うあの中学校の校庭で体操したあの匂い、仲良く遊んだクラスメイトとの夏の「青雲寮」のあの懐かしい林間学校の光景は未だかつて忘れられない。

 

 あの日、あの場所に、あの時に、あの仲間に会いたい。

 

 「おから」で磨いた廊下に木造校舎に漂っていた木の香り。もう、あの時代には二度と帰られない。そう思うと胸は一層熱くなり、帰るに帰れない遠い昔に想いを馳せるばかりだ。「片思いだった同級生のあの彼女、今も存命で、今も元気にしているのだろうか・・・?」