懇意のT御大(御年71歳)は海外勤務の経験もあるメガバンクのご出身の方で、当方がその昔棲んでいたマンションに今でもご夫婦で住んでいる。ご出身は九州だが年末帰省先で生死に関わる重篤な肺炎に罹り、慌てて上京し今月初旬まで大学病院に入院していた。
退院後、御大とは病気仲間という好みもあって、毎週何回か2時間程度の散歩をご一緒させて頂いている。
御大はこれまで病気らしい病気もせず、ゴルフ、テニス、フルマラソンや老人大学や地域の文化活動にも積極的に参加され、退職後も悠々自適に充実した生活を過していた。
ところが、今回の病気でその生活は一変した。スポーツジムやランニングクラブも休会し、仲間とも距離を置くなどして、全てを切り離して治療に専念するという。
ステロイド系の強い薬の服用もあるせいか、体調の好不調や不眠なども重なり自律神経が失調しているとの自覚もあるようだ。そのうえで無用に孤独感に苛まれている。当たり前の話だがお仲間が病気を救ってくれるわけでもなく、どうやら周囲の形ばかりのお慰めのお見舞いや励ましに空しさも沸いるようだ。
これまで病気らしい病気にならなかった健常なご本人が突然にして大病に見舞われ、180度違った日常生活を迫られてしまった。それがどうにも納得がいかず現実が受け入れられない様子だ。そうした心情をわが方にぶつけてくるのだが、御大は今も「こんな筈では」とのスパイラルから逃げ出せないで足掻き苦しんでいる。
奥様任せでこれまで食事も作った経験のない御大が台所に立って、料理の準備から皿洗いまでをやりながら、一日3度のバイタルチェックに服薬を励行するも一向に出口の見えない日常に閉口。生真面目な方が故にどっぷりと心身ともに病気に浸かってしまったようだ。誰しもが重篤な病になればなるほど悔いは残り、そのハケ口を奥方や家族に求める。
「何事にも共有を求めない、同じ時間を一緒に過ごさない。程よい距離と時間を過すことが大切ですよ!」と若輩ながらアドバイスを差し上げたが未だ御納得いただけないご様子だ。立派な経歴を持ち誰にも敬愛される人格者だと思っていたが意外な処でその脆さと躓きを見てしまった。そうした人ほどこんな罠にたやすく掛かってしまうのかも知れない。
コダワリや執着を失っては駄目だが、時には「達観」、「開き直り」や「諦め」が病を癒すこともある。とはいえ、当方がこの先のすべてに「納得」し「達観」できるかは分からない。
気負っての新年を迎えたと思いきや、如月(2月)も、もう残り3日足らずで終わってしまう。時の流れはかくのごとく無情で容赦ない。