山梨では、何というだらしながないことかという意味で使われるほか、節度のないこと、決りのないさまを生粋の甲州弁ではこう云う。朝、起きたら歯を磨き、顔を洗う、そして寝間着を着がえて、朝食を摂る。朝茶に新聞のニュースに目を通して一日が始まる。
実はこうしたことが極めて大切なのだ。入院時に朝のバイタルチェックもその類だ。何もしないでいるとそれは、それで済んでしまう。つまり、一日着替えもせず、洗面もせず、お出かけもせず、ルームウェアでダラダラ過ごそうと思えばそんな生活は簡単にできる。
会社勤めを辞めた頃は、起床時間は不規則になるはスーツやワイシャツを選ぶようなオシャレにも気を使わなくなった。地方勤務の時代、社の女性社員が通勤時間短縮の為、ユニフォーム姿のままで出退勤した姿を見て、理由はどうであれその娘のフシダラさにゲンナリしたことを想い出す。
地方だけかと思いきや東京本社勤務になった時にも同じような経験をした。若手男性社員の中にはいつも同じスーツにワイシャツ、ネクタイ。襟元と袖口は薄汚れ手の爪はのび放題、肩はフケだらけ。男性だけかと思いきや、女性社員の中にも、さすがに東京だから制服姿での出退勤はなかったもののユニフォームのブラウスに、それを隠すような重ね着。化粧なしのスッピン顔に、弛んでしかも伝線したストッキングにもゲンナリさせられた。
そんな生活は絶対に厭だと思っていたが、これが、退職し病で自宅療養となって自由な時間が増えるとなると、生活のリズムも狂いモノグサにもなる。髭も剃らないしベッドは万年床でいつでもお休みができ、お口のお手入れやお風呂もメンドクなってしまう。ベッドの周りの手が届く距離には携帯電話から、服用薬やゴミ箱まですべてが揃う。
こうした環境を長く続けるとそうした環境に慣れ切ってしまって、却って不健康になり精神衛生上も良くない。規則正しい生活を過すということは極めて大切なことなのだ。「引き籠りの若者」、「独居老人の室内」や「ゴミ屋敷」を思い浮かべてみるとそのことがよく解る。
普段の生活に気づかぬ人も多いだろうが、家人の「ごはんよ!」「お風呂よ!」「行ってらっしゃい」や「お帰り!」は生活のリズムやその言葉で動くことは気づかぬお仕事として極めて健全で大切なことなのだ。
パジャマに着替えて「オヤスミ」と声をかけられて眠りにつくことは、日常を生きるに不可欠なことかも知れない。そうでなければ、いつか「逝ってらっしゃい」に、本当の「オヤスミナサイ」にもなりかねない。