Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

エンジョイ・エイジング

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   毎日、トランジスタラジオをポケットに入れての早朝散歩は、すっかり日課となった。始めたきっかけは、主治医からの激しい運動をしないまでも、毎日、体を動かすようにとの指導からだ。

 

   爺臭いがNHK「ラジオ深夜便」の早朝4時過ぎから始まる「この人に聞く?」は、毎日、聴いているだけで楽しい。先日、東京世田谷の特養ホーム「芦花ホーム」の常勤配置医の石飛幸三医師がインタビュー形式で答える「エンジョイ・エイジング」と題した番組が再放送された。

 

    彼は広島生まれで原爆投下当日を知っている。それがきっかけで、医者を志し慶応大医学部に進み、ドイツ留学を経て総合病院の血管外科医を務めた経歴を持つ。それが、今や人工呼吸器や胃ろうなどの延命治療を否定している。生かされる命より、人間らしくゆっくり下り坂を下っていく最終章に手を貸すことが、患者はもとより、御親戚、医師も含めた医療従事者など周囲の務めだと、俗っぽく江戸下町のベランメン口調で答えていた。

 

  でも、インタビュアーの質問にレスポンスもよく意外と真意をついているだけに聴きやすかった。

 

    患者の尊厳に対し、医師は持っている技術の全てを使って患者の命を救おうとする。さもなくば、医療行為の放棄として「保護責任者遺棄致死罪」にも問われかねない。だから、患者がムンクのよう顔つきになっても、医師をはじめ、管理栄養士は1日1500㌔カロリーの食事を無理やり患者に食べさせようとするし、作業療養士もリハビリによる機能改善と称して無理やり患者の老体を鞭打つ。ここに治る見込みのある治療と治療の限界を峻別する必要があると師は説く。

 

 その石飛医師は、「延命」とは真逆のことを「平穏死」として、これを本に著している。この考え方は、諏訪中央病院の名誉医院長鎌田實医師がいう「がんばらない!」と同じ思想だ。このことが最近やっと医療関係者も厚労省も理解し始めたという。

 

 人間らしく、最期を遂げることは難しいかもしれない。そんななか家内はかかりつけの病院に対して毎年「延命治療拒絶承認書」を提出し、それに当方もサインしている。 これまで、どの病院にお見舞いに行ってもその患者の活き活きと輝いた患者の写真が飾ってあるのが不思議だ。それがその人が生きた証であって、輝いた瞬間なのだ。だからそこに横たわる患者はその人本来の姿ではない。無為に治療して延命した時間はなんなのか。この番組を聴きながら「終末期くらいは、辛い治療はせずゆっくり休ませ看取ってあげたい」という思いが一段と強くなった。

 

(今日のおまけ)

 番組の中で、石飛氏が云うには「食が細くなり食べられないようになると、ひたすら人間は眠る時間が多くなって、最後は意識のないまま旅立つ」という。「だからこそ積極的治療を諦めた時はホスピスへの入所を勧めたい」とも答えている。

 

 それを裏付けるように、ある総合病院の看護副師長からお聞きした話。「徳兵衛さん、ホスピスはいいですよ。お酒もたばこもOK!」「それに緩和ケアで痛みがあれば、鎮痛剤やモルヒネで痛みは緩和できる」と真顔で当方に言う。

 

  そんなことを真面目に聞き入る当方も人生の余白はそんなに多くはない