Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

八方塞がり

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    前日の夜、救急救命医のドキュメントを視た。医者は大変な仕事だと思った。この現場で働く医者は常に患者の命と真正面から向き合っている。だから、処置の甲斐もなく目の前で亡くなっていく患者もいる。指導医はこう呟く「医者たちが常に生死をさまよう患者を相手にしているが故に、死に対して感覚がマヒすることが怖い」と。

 

 翌朝の新聞の見出しに「患者は渡る津軽海峡」とある。連絡船やイカ釣り船だけかと思ったら、無医村となった青森県の小さな村の患者が、車で1時間半をかけてむつ市まで初診に通うが、痛みの原因が分からず、とうとうフェリーで3時間をかけて函館の総合病院に通院することに。

 

 患者は「フェリー代は高いけど、あっちの方が、施設が充実している」とある。まさに医者にかかるのも一日がかりだ。全国には637もの無医地区がある。皮肉なことにそのトップは北海道で89もの無医地区を抱える。いくら給料や待遇が良くても医者の偏在は解消しない。

 

 その横の記事に「透析患者年3.5万人以下に」「国が数値目標」とある。現在、血液透析患者は年に3.9万人も発症し、推計でも年1兆6千億円もの医療費がかかっている。ことあろう家内も20年来の透析患者で隔日に透析をしている。旅行や冠婚葬祭時にも制限がある。医者の偏在が進む一方で伸びる高額医療費。医者にもかかれず高度医療も受けられないとなれば、当方夫婦も共々専門医のいる地域に引っ越して当方の腎臓を家内に移植をするしか道はない。

 

(今日のおまけ)

 定年後も働きたいと希望するようだが、全体の約二割は働きたくても働けないと答えている。その理由の一番は、働き口が見つからない。二番目が家庭内介護や看護が理由だ。ここにも日本の医療の複雑さが垣間見てとれる。

 

 収入のために労働意欲が持続するのは65歳までで、65歳を超えるとそれが「生きがい」や「人生のハリ」を求めて就労するそうだ。

 

 当方も退職して早3年、家内の外出に当方「どこへ行く?」家内の返答に「だったら、俺も行く」相変わらず煙たがれている。

 

   JR東日本のキャッチ・コピーではないが「週末は山梨にいます」「ずっと独りで山梨にいます」になりそうだ。