毎日新聞がシリーズものとして記事にしている「縮む日本の先に」。先月末の朝刊1面の同社の調査による見出しとリードは「救急拠点、終末期の患者への延命中止7割」とあり、継続派は「刑事責任追及の恐れから」ともある。
こうなってくると自分の死に方も今のうちから考えておかないといけない。記事にはこうある。以下、引用。
「重篤な患者に高度な治療を行う全国の救命救急センターのうち、少なくとも49病院で昨年、回復の見込みがない終末期の患者への延命治療を取りやめていたことが、毎日新聞の調査で明らかになった。取りやめの有無を答えた病院の約7割を占めた。亡くなった患者は1120人に上り、うち9割超が高齢者だった。刑事責任追及の恐れから「取りやめない」と回答した病院もあった。急速な高齢化による「多死社会」を迎える今、厳しい判断を迫られる医療現場の実態が浮かんだ。」とある。
延命治療中止の判断は誰がするのか、そのような状態では患者自身で判断はつかない。今からその意思を書き残しておく必要がある。遺書と同じく公正証書にしたためておくのが妥当かもしれない。産まれてきたことも、両親も選ぶことはできないが、人生の最期ぐらいは自分らしく、自分で判断して終えてもいいだろう。胃ろうや人工呼吸器を無理やり着けられて、点滴のチューブがベッドの周りを埋め尽くすようなスパゲッティ状態になるのだけは、まっぴら御免だ。
でもな、自分で用足しが出来なくなったら惨めで悲惨だよな・・・。この問題は繊細で微妙な問題だが避けては通れない。記事によると延命治療を取りやめで亡くなった患者は計1120人のうち中止308人、差し控えは812人いて、なんと65歳以上の高齢者が92%を占めたそうだ。前期高齢者でも一旦病気になったら「殿!御覚悟を・・」ということだ。
そこで、重要なのが患者や家族の同意だ。そうなりゃ最後は女房や子供にお任せするしかあるまい。「どうぞ存分に、御勝手あそばせ・・」だ。過去には、看護師や医師が筋肉弛緩剤を投与したケースもあれば高齢患者の人工呼吸器が取り外したケースもあったが、司直でさえ殺人容疑での立件を見送っている。
(今日のおまけ)
事前に意思を伝えておくためには「書置き」は必要だ。女房は若い時から闘病生活を送っているが、毎年、本院から終末、延命治療についての意思確認書の提出が求められている。勿論、回答は「イエス・ノー」のどちらかで「どちらでも」といった選択肢はない。その上、配偶者の署名捺印が必須条件となっている。
女房から「全部、おとうさんお任せしていますから・・・」と言われて、昇圧剤の投与は結構、人工呼吸器も透析も、心臓マッサージもしなくて結構・・・!と医者に言えるだろうか? このジャッジを当方に一任されても、死刑執行人みたいで後々、後々、一生後悔するかも知れない。長門裕之が南田洋子の人工呼吸器を外す時、立ち会わず病室から逃げたと、その薄情さを世間から非難されたこともあった。でも今考えれば、その気持ちは解らなくもない。
高齢化が急激に進む中、救急医に限らず医者は患者の救命だけでなく、治療を終えるステージで、医者も家族も困難な判断を迫られる時代になった。みなさん、早めに「オヤジの書置き」をご用意されほうがよろしいかと・・・。
あすも、ブログアップできますやら。これからは、一日壱日を大切にせねば・・・