Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

受診日

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   さて、今日は主治医との受診の日だが、結果はさておき、先日読み切った「医者の逆説」からブログネタを・・。コピペするとジャスラックのように音楽教室でも歌った曲や演奏にも印税を掛けるなどの目に余る横暴がまかり通っている。

 

  これだけ、ネットが普及するともはや著作権といえども過去の既成概念だけでは押し切れない時代となった。

 

 さて、書を引用すると、医術は「どのみち助かる患者を早く快復させる」方法に過ぎない、だから「死ぬのは寿命だから」人間は手をつけてはならないとある。

 

 江戸時代においては、薬師もそうだが、病が治れば大枚を叩き、治らなければ無報酬だったそうだ。それが今日においてもその思想が流れているようだ。大金をはたき有名病院で一流の医者に診てもらえさえすれば治療してもらえば患者は病が治ると信じる。これは正しく患者側のエゴイズムに過ぎない。

 

 かくも「白い巨塔」を引き合いに出すまでもなく、外科医、戝前五郎が「自分が切るからには絶対大丈夫だ」といいきるも自身が病に罹り「絶対」ということはないということを悟る。

 

 似たような話がある。患者が結果的に助かるも助からないも同じ検査をして同じ治療をすれば同じ報酬を得るのが医者の仕事。こんな話もある。中国共産党のオエライ人が難病となり、国内の医療機関に信頼がおけず、オーストラリアで手術を受けた。結果は失敗し患者は亡くなったのに対して、中国側が「患者が死んだのに金を取るのか」と揉めた事件があったようだ。

 

 つまり、カネを払って有名医にかかれば病気は治ると信ずればこそ、その報酬として医療費を支払う論理がまかり通っている。医者への報酬は結果に対して支払われぬのではなく、その治療過程への報酬でであって、結果について「上手くいった」からといってその対価をもらうのではないと著者は云っている。なるほどと妙に合点がいく。

 

(今日のおまけ)

 大学病院の受付から清算まではことごとく合理的だ。端末機に診察券を入れると受付番号が記され、治療後、計算窓口に行くとその受付番号によって医療費が清算される。その上、待ち時間が惜しい患者は、ソフトバンクの携帯電話料やクレジットカードでの後日清算となる。その昔の町医者にかかった時代とは様変わりだ。

 

 四桁の受付番号は大きなデスプレイに表示され清算を終えるのだが、この待ち時間が妙に長く緊張する。これは大学受験の合格発表の雰囲気。近い番号は表示されるも当方の番号は中々表示されず気を揉む。くそっ!と思いつつその番号で「ナンバーズ4」を買ってみたもののやはり「外れ」。かのごとく人生は上手く流れない。