Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

千の風に乗って

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   11月1日(2日早朝)の深夜、BSプレミアムで「千の風になって」の曲をバックに女優の木村多江がご案内役(彼女もお父さんの死が受け入れられず、お父さんの反対を押し切って女優になった経験を持つ)。愛する人や身近な人の死をどう受け止めてきたのかを国内外を旅しながら悲しみと癒しの在り方を伝える内容だ。でも、それを裏返せば、人はどうすれば生きられるのか、生きていけるのかをテーマにしているようにも思えた。

 

 なぜかしらこの番組を見ながら胸が詰まってしまった。番組内でも採りあげられたこの曲は、シンガー・ソングライター新井満が、知人の死をきっかけに「千の風になって」の英語原詩で作者不詳の「A Thousand Winds」に感銘を受け、氏は死者を送る側からではなく、亡くなった人からのメッセージとして死生観を根底から覆したこの詩に感動したという。

 

 原詩の意味は、「死ぬということは風に生まれ変わること、星に生まれ変わること、遠くに行ったわけでもなくて、再生してあなたのすぐ近くにいる」ことを示唆している。つまり、大切な人が、死んでもなお自分のすぐ傍にいてくれることを悟った瞬間に、それまでの深い喪失の悲しみから解放され、安堵し自らの心が癒やされるのだという  テロ、事件や事故で思いがけなくこの世を去らねばならなくなった人々の心は、形を変えて脈々と生き残る。残された人の心一つで穏やかな気持ちになれる。

 

 結びに、親父は晩年仏教に目覚め、觀自在菩薩行深般若波羅蜜多から始まる「般若心経」を研究し、毎朝、仏壇に向かって唱えていた。その後ろ姿をみて門前の小僧ならぬこの徳兵衛、唱えることはできるが、お経の本来の意味や悟りの境地に入ったことはない。であるなら、そうだ今からカラオケにいって、「千の風」を独りで唄ってみようっと。この番組を見たから、歌詞のだいたいの意味やイメージは分った。きっと高得点が出るに違いない。

 

(今日のおまけ1)

      自然葬を区分すると 埋葬(墓・土葬)にはじまり、 散骨(宇宙葬・海洋葬)、 火(火葬場・直葬)、 水葬、 鳥葬、 樹木葬風葬、珍しいところでは冷凍葬があるらしい。幼いころ、祖母の土葬に付き合わされたことがある。組の輪番制で当番の何人かが野犬に掘り起こされないように2メートル近く墓穴を掘る。「曾爺さん、曾婆さん」や先祖の骨が沢山出てくる。基本は十字に埋めるが、その臭いはかなりキツイ。

 

    薪による火葬(荼毘)にも立ち会ったが、とにかく骨になるまでの時間がかかり、骨が大きすぎて骨壺に入らない。そんな骨が火葬場の裏山に山のように積まれていたことも思い出す。延々と立ち上る火葬の煙。親戚の長老が幼い当方に、「亡くなった婆さんの魂が天に召されていく」と教えてくれた。   終活も終盤に入ると、とにかく話題が暗い。今日はここら辺で床に入りながら丹波哲郎の「大霊界」でも読もうっ〜と。

 

(今日のおまけ2)

 件(くだん)のN御大。いよいよ今日入院だ。明日以降、内視鏡による病理学的に患部を掻爬する。仄聞した最新の様子では、仕事に忙しく週末も家には帰っていないようだ。折しも、昨日から発熱したらしい。原因が患部の炎症でなければよいが・・・手術の無事を祈りたい。時を併せて当方も発熱して、昨日は寝込んんでしまった。一昨日、体力づくりのためにと無理を承知で自宅周辺を20㎞もウオーキングしたことが原因のようだ。「過ぎたるは及ばざるが如し」