Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

勘当、絶縁に駆け落ち

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 それが、そそのかし、誑かしや騙しであっても言葉では何とでも云える。さて、結婚とは本人同士が「契り」を結ぶだけで決められるものではない。その背後には親もいれば親戚家族もいる。つまり家と家がその先一族として親戚付き合いをすることを意味する。血筋、血統、先祖や本人の才覚などを十分吟味した上で縁が結ばれる。そしてそれは過去帳に載り歴史に刻まれ代々語り継がれる。

 

 ところが、この結婚の儀、場合によってはご当人の意思に拘らず周囲や親が縁談をまとめ嫁ぐ事さえある。戦国時代には、政略結婚や人質婚だってあった。

 

 ここで秋篠宮家の眞子さまと小室圭さんの場合はと考えてみると、結婚は本人同士でどうにでもなる。でも冒頭申し上げたように宮家と一般のお家の幾坂お付き合いするとなると話は別。あまりに小室さんのお母ちゃんの素行、性格、品性が余りに悪すぎる。だからこそ先んじて、「結婚式(儀)はしない、親戚付き合いはしない」と秋篠宮殿下は公言している。

 

 こうなってくると、宮家内の動き方が難しく、立ち回りが非常に悩ましくなってくる。しかも支給金もない中、お二人が渡米して新天地で生活基盤を作るとなるとかなりハードルは高く多難な前途となるのは目に見えている。

 

 つまり、宮家は勘当に近い感覚をお持ちの一方でお二人は駆け落ちの感覚のようだ。恋愛経験がなく無垢な女性が恋路に走り出すと、その先あまり良い方にはことは転ばない。それが幸せに繋がればいいと願うのだが一抹の不安が残る。

 

 最後に「勘当・絶縁と駆け落ち」に付言して今日の結びとしたい。

 

 「勘当」とは、親子の縁を切ることで、師弟や主従関係を解消する際にも使われる言葉。法的な手続きをとる訳ではない。江戸時代は親が子供を勘当する際、奉行所に届ける必要であったことに由来する。法的に縁切ができないのなら公正証書遺言の作成とでも行きたいところだが現下の法制度では血縁関係は否定できないことになっている。

 

 一方「絶縁」とは、人間関係の中で交流を絶つことをいう。つまり「勘当」とは違って、親兄弟姉妹でも、友達関係や組織、組であっても使えるがこれも拘束力なし。

 

 お終いに「駆け落ち」とは、相思相愛でありながら、結婚を許されない男女が、連れ立っ土地に逃げて行方を眩ますことをいう。今回の二人はこれに一番近い。昔は税や兵役逃れのため、貧困や悪事を働きその地に棲めなくなって逃亡することも「駆け落ち」といったらしい。

 

 辿れば「欠落」と書いたようで、これは所属する組織やムラ、マチから欠けて落ちることをいい、行方が不明となったり失踪すると戸籍台帳から削除(欠け落)されたらしい。まあ今でいう行路不明人だ。

 

 とにかく、どんな言われ方をされようが、どんな目に合おうが親子兄弟姉妹は血縁であって、血の繋がりは後世まで消え失せない。どんな生き方をしようが定められた宿命からは人は一生逃れられない。