大ドンデン返し、今や、50歳以上で未婚の男性が5人に一人、女性でも7人に一人が結婚を経験をしたこともしないままに還暦を迎えているという。その昔は周囲に世話焼きなおばさんがいて、仲人をしゃしゃり出て写真やらお口添えをいただいたものだ。
今思えばそれはそれで、いい社会の仕組みで。お相手の資産、シゴト、器量や親戚筋まで調べ上げて「見合い」を強要したものだった。一見それは大きなお世話やゴリ押しのようにも見えるが・・・。
でもそれはで、出会い以上に互いの性格、好み、条件や氏素性を調べ上げての出会いだから、大きな失敗もなくソコソコ「ふさわしいお似合いのカップル」が誕生したものだった。
それがいまはどうだろう、ドラネコ、ドラ犬や野良猫や野良犬が公園や屋外で交尾するように相手はお構いなしで、そうした行為に走って後にその始末に親御さんをはじめ本人が奔走し後々後悔することは日常茶飲み事。その代償は想像以上に大きい。
相性がいい、互いが苦にならないでいいというのは、どこまで行っても本物の相思相愛だということだ。だから、争いもなく相手に対して腹を立てることもない。時として争いになる前に互いが空気の存在のようになって、二人で二人三脚をしながら人生を歩んでいることで争いさえ忘れてしまう。
ところが、こんなはずではなかった、こんな人とは思わなかったというのはそれも分かっていたはずなのに・・・。「後悔先に立たず」。こんなことは世間ではザラにある。
そうしたことも承知の上で、勢いだけで一緒になってしまう。そうすると、何年か経つとある日「プツン」と音を立てて崩れる。誤解が誤解を生み、それが不信となって蜜月だった関係性がある日突然にして終わる。その時になって相性が良くなかったことや「ご縁」がなかったことに、やっと気づく。時すでに遅し!!!
時すでに遅し、だったら出会いもなく最初から貴族でもない独身(烏・カラス)貴族を通し、気ままに暮らした方が遥かに幸せな人生を送れたかもしれない。
最近の破局や離婚をみるとそのことが良く解る。福原愛に始まり、コジ瑠璃然り、安部なつ然り、付き合いが長けりゃいいというものでもない。小室哲哉だろう、吉瀬美智子に熊谷真美、珍しい処では晩年にやっと花を咲かせた八代亜紀なんていう例だってある。