知らんかったわ!女性同士では平気で使われるのに・・・・。走友会メンバーの女性書家の先生も「女子力を上げて走りぬきましょう」てな、ことをよく言っていたことを思い出した。ただ、これを男性が使うと女性差別に取られるようだ。特に女性らしさを褒めて「女子力あるね」と来たらレッド・カードで一発退場だ。「らしさ」を「力」に置き換えただけなのに・・・。
一昔前なら、気働できる「女性」、挨拶が丁寧でにこやかにほほ笑みかけてくる「女性」、料理が上手な「女性」やお茶の出し方が上手い「女性」。この「女性」という言葉をセンテンスの前に持ってくるとそのことが良くわかる。
即ち、女性は気働きができて、笑顔が素敵で料理が上手いことが「女性らしさ」であって、それができない女性は「女性らしさ」がない。つまり性的差別、偏見というか人格否定にまで繋がるという。そういえば90年代後半ごろから「スチワーデス」は「キャビンアテンダント」に、「看護婦」は「看護師」に呼び名が変わった。その上「ビジネスマン」は「ビジネスパーソン」に呼称が変わった。
この「らしさ」、日常会話でも多用されているが、どうやらこの先、会話から消えるのではないか。最近では「老人らしさ」の「老人」が差別用語として標的にされ始めた。「老人向け」は「お年寄り向け」に代わるらしい。だったら「後期高齢者」などは、明らかに差別用語にはならないのか??? この世から「らしさ」が消えたら、自分らしさも失いそれこそ味気のない無彩色の世界しか残らない。行き過ぎるのも程々にして貰いたい。
(今日のおまけ) 差別用語同様にパワハラ、セクハラ、アカハラなども暴力として捉えられるご時世。これじゃ仕事にもならない。毎日がハラハラの連続、権利を主張する前にやるべきことはやる、義務を果たしてから主張してもらいたいものだ。
これもおまけの一つ。「笑い」のタイミングを外すと「嘲笑」、「上から目線」や「差別」と捉えられるので、これも要注意だ。例えば、米国では黒人のコメディアンが黒人をネタに笑いを取るのはセーフだが白人芸人が黒人をネタに観客から笑いを取ったらどうだろう。明らかにこれはアウト。「人種差別問題」として全米各地でデモが起きるだろう。
「笑い」も「らしさ」もなくなれば、鉄仮面のようなゾンビが街に溢れ出て、それこそ人間らしさを失ってしまう。