Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

生活の不自由展

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 公的年金を受給するようになってから、しばらく経つが毎年この時期になると各期の年金支給額通知が郵送されてくる。退職直後はあまり気にも留めていなかったが、よくよくみると御覧の通り老齢、厚生基礎年金を合せて受給額147千円余。そのうち、毎期30千円以上の介護保険料が天引きされているではないか。手元に残るのは夫婦2か月で10万円ソコソコの生活費にしかならない。これでは生活は苦しく不自由で食べて行けない。

 

 この介護保険料なるものが曲者。これでは年金暮らしなど夢のまた夢、生活はどんどん不自由になっていく。年金受給額からの天引きだからお国はとりっぱぐれはない。 

そんな中、10月16日夜の「クロ現」で高齢者や患者の「身体拘束」について、再度、熱い議論が展開された。

 

 理想論と方法論が混在して、議論の争点がボケたようだ。でも、この問題は、医療現場の末端で働く、介護士、ヘルパーや看護師が独りで40名以上の患者を受け持たなければならない過酷な現実の裏返しでもある。医師は治療に専念、病院は経営、家族は高齢患者を「姨捨山」のごとく施設や病院に強制入居や入院をさせる。結局そのシワは病院や施設側の看護師や介護士に寄る。

 

 確かに病院や施設の真夜中は、静寂のなかで患者の気持ちを不安にさせ、恐怖心を煽る。見回りの懐中電灯の光にさえ怯えてしまう。だから、奇声や大声、徘徊や衝動的行動や暴挙にでる。患者や高齢者に寄り添うとの綺麗ごとだけではこの過酷な現場は凌げない。生前、亡父も入院中点滴チューブを無意識に抜去してしまうことから、止むを得ず体幹拘束を容認したことがあった。

 

 家族としてみればその姿をみて、複雑な心境だった。でも、医療や治療を受け、自宅介護や療養に対処できるかと云うと、それはそれでどうにもならない。医療現場も、家庭も族もギリギリのところで現実に立ち向かっている。この先5年後には、3人に2人は60歳以上の超高齢化社会が到来する。

 

 その反面、過酷な医療現場で看護師の75%以上が、仕事を辞めたい、辞めることを考えたことがあるとしている。介護保険料は当人が病人であろうが、介護度に拘らず死ぬまで払い続けなければならない。

 

 最高値の寝たきり老人の介護度5で国から施設や医療機関に支払われる月額報酬は37万円程度。これに病院、医者、看護師、介護士、ヘルパーやデイサービス機関が群がる。一連の仕事をCMベースでやろうとすると人件費だけで赤字になるのは目に見えている。

 

    それに、患者や高齢者の食事代、薬代、施設利用料や家賃などを考慮すると、とても月額36万円/1人では間尺にはあわない。したがって、人件費や物件費がかからない娘や息子たちが自宅で親の面倒を見る羽目になる。そして親の命を家族が心身ともにヘトヘトになるまで、看護や介護して両親を守り続けなければならない。

 

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 そんな、この先の生活を考えたとき、名古屋界隈で知事や市長らを巻き込んでの、「表現や報道の(不)自由展など」と、ふざけて騒いでいる連中や馬鹿どもに腹が立つ。そんなことを傍目に、アナタの生活の不自由度(展)はひたひたと忍び寄ってきている。明日の「生活の不自由展」の主役は貴方かも知れない。