Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

長生きは美徳か

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 今日でブログを初めてからのアップ数は丁度730回目(ネットで丸2年)となった。

    だから何なの?と言われても仕方ないが、2年間毎日掲載するのに2年と87日を要したことになる。それにしても、我ながら良く続いたものだと感心する。お袋が亡くなり、故小林真央がブログで闘病記を公開したのを機に始めたこのブログ、残念ながら来月からしばし休載となる。

 

  自分の置かれた環境や境遇をネガテイブに意識したつもりはないが、最近ヤケに「病」、「老い」、「不遇」に関連したテレビ番組や新聞記事をよく目にするようになった。もしや、これって天のお仕組みで、わざと当方の目に触れさせているのではないかとも思う。

 

 先頃も、NHKスペシャル「人生100年時代を生きる」の特番を目にしてしまった。テーマは「延命」だ。医療技術水準の進展や高度化もあって、健康寿命も延びた一方で延命治療によって自分の意思に拘わらず、患者が「生かされてしまう長生き現象」が全国各地のあらゆる医療機関や施設で日常的に起きている。

 

   生きたいとも思わない、またこれ以上生かさせたくないとも思う患者や家族の心情。これに対して医療関係者は生命の維持を尊重する。命の尊厳を取り巻く両者の対立、葛藤や隘路。

 

   番組の中で、在宅患者をケアする医者が、90歳も過ぎた高齢女性の家族に「患者の容体が急変しても救急車は呼ばず、私(医者)に連絡をしてもらいたい」とのやり取りをするシーンが冒頭に流れた。番組アンケートによると「人生の終わりにどんな医療を受けたいか?」との質問に90%以上の人が「自然に任せてほしい」と回答している。  

 

  「救急車を呼ぶと、病院のER(救急救命室)で心肺蘇生や救命措置がとられてしまい、結果的に自然死による看取りが出来ないからだ」と番組は案内している。今やこの延命措置は、倫理、尊厳、価値や患者意思確認などの面で大きな社会問題ともなっている。

 

 そうした観点から、番組は延命措置の功罪として3つの治療方法を紹介している。まずは、「人工呼吸器」、云わずと知れた機械装置による人為的な呼吸だ。次に「胃ろう」だ、口から食べ物を摂取しなくても高カロ栄養剤が胃に直接チューブで流し込まれる。そこには空腹感、満腹感、風味や味覚も味わえないが、命は確実に維持される。そして最後は家内もお世話になっている人工腎臓と言われる「血液人工透析」だ。家内が透析を始めた当時、透析患者の寿命は透析開始後10年が限界だと主治医から説明を受けたことがある。それから20年、それがどうだろう今や90歳を超える透析患者も多く、高齢で透析困難症に陥っても薬物療法で再び生き長らうことが出来るという。

 

  何のための、誰のための、そして医療、医術は何を目指し、患者やその家族は何を願い、何を望んでいるのか。問題の核心を提起するリアルな内容だった。

 

(今日のおまけ)

 家内の透析歴は驚くほど長いが、そのせいかここにきて弊害、副作用、合併症や後遺症が発症してきている。それに当方も今回の件で一時的にではあるものの、しばらく人工呼吸器のお世話になる。そしていつ外れるとも判らない「胃ろう」にもこの先お世話になる。正にこれからわが家では「老々介護」ならぬ「病々介護」の生活が始まろうとしている。

 

 歌手、作曲家、プロデューサーの「つんく」は喉頭がんで声(声帯)を失った。そして当方もこれから食道と胃を失う。親から貰った自分の体の一部を生贄に癌患者は、どこまで、いつまで自分の体を犠牲にして生きたいと思うのか?今はその先が全く見えない。